うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

#歴史

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」@国立歴史民族博物館

千葉県佐倉市にある「国立歴史民族博物館」で開催されている「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」を見学してきました。 シーボルトと聞くと「風雲児たち」ファンとしては「おたくさあ~!!」という叫びを連想してしまうのですが(笑)、こらあもう、幕末…

西郷隆盛宿泊の「木屋家」跡地@龍馬をゆく2016

武市半平太居宅兼道場跡の碑がある横堀公園の南側には当時、砂糖の専売権得て豪商になったという「木屋家」(竹村家)があったそうです。 公園内の看板には「金物商」と記されています。公園の南側付近だったということですが、明治4年に高知を訪れた西郷隆…

岡本寧浦塾舎跡@龍馬をゆく2016

安芸郡安田浦出身の岡本寧浦は藩校教授館の教授を務めていた先生だそうです。官を辞職した後、高知城下中新町に家塾を開いて師弟を教育しました。 門人には武市半平太、間崎哲馬や岩崎弥太郎など千人を超えていたそうです。

間崎哲馬邸跡@龍馬をゆく2016

土佐勤王党にも参加している間崎哲馬邸跡地。 岡本寧浦に師事しこの地に私塾を開いた間崎はその門弟に吉村虎太郎、中岡慎太郎、沢村惣之丞らがいるそうです。そして「青蓮院宮令旨事件」に関わり文久三年、平井収二郎、弘瀬健太らと共に切腹させられました。…

高知駅前「三志士像」@龍馬をゆく2016

11年ぶりの高知です。高知駅もすっかり新しくなっていてびっくり。そして何よりかにより龍馬ファンにとって眼に飛び込んでくる驚きはコレ、「三志士像」です。 武市先生に 中岡先生、そして・・ 「高知家」の主人とも言えましょう、我らが坂本先生です 2011年…

勝海舟邸跡@龍馬をゆく2016

本氷川坂を下っていきます この坂、短距離ですが結構なこう配でして・・・。都内の幕末歩きでもやはり上下運動を余儀なくされます・・。 坂を下りると見えてきた一角は 赤坂六丁目十、の標識がありました。龍馬巡りを初めてから実に11年・・、色々ありまして、よう…

氷川神社@龍馬をゆく2016

勝海舟先生ん家を訪れるべく、東京赤坂は氷川神社にやって参りました 神社というのはいつも不思議に思うのですが、こんな都会のど真ん中でさえも、その境内の一角だけはうっそうとしている、というか なるほど、鳥居をくぐって神の世界の領域に入るというの…

伊地知正治墓@東京2016

青山霊園、伊地知正治墓。薩摩の精忠組ですね。

副島種臣墓@東京2016

青山霊園、副島種臣墓。副島種臣は枝吉神陽の弟ですね。佐賀藩士というと嘉永3年(1850)の楠公義祭同盟の結成に興味がそそられます。幕末における楠公際祀とその嚆矢となった佐賀藩は見逃せませんし、楠公をはじめて公に顕彰した水戸二代藩主光圀公とのつな…

有村次左衛門墓@東京2016

有村次左衛門といえば「桜田門外の変」ですね。水戸浪士とともに井伊直弼を襲撃し首をあげるといういわば「桜田門外の主役」です。 安政7年の3月3日は雪降る朝だったといいます。この日の青山霊園は先日都心に降った雪が芝生の上に残っていました。合掌

西周墓@東京2016

青山霊園、西周墓。日本人初のフリーメイソンと言われている西周。文久2年には榎本武揚らと共にオランダへ留学しているのが興味深いです。ひとつひとつの「幕末パズル」をつなぎ合わせていくと、俯瞰してそこに見えてくるものは一体どんな絵なのでしょうか。…

山川浩墓@東京2016

青山霊園、山川浩墓。大河ドラマ「八重の桜」でよく登場されていました。

秋月悌次郎墓@東京2016

会津藩主松平容保公の側近の一人として仕え、会津が京都守護職に任命されると公用方として共に上洛しました。「八重の桜」でもよく登場しましたね。 青山霊園にて。

大鳥圭介墓@東京2016

鳥羽伏見で慶喜が大坂から江戸へ戻り恭順の意を示す中、小栗忠順らと徹底抗戦を主張します。旧幕府軍を率いて江戸を脱出し北上、榎本武揚らも北上し蝦夷地へ。土方歳三ら新撰組も北へ。ざっくりと言えば「旧幕府系」を全部内地から蝦夷へ寄せた、と言えるの…

大歳神社と「七卿潜寓の画碑」@龍馬をゆく2010

この年(2010)の山口巡りはホントに歩きました・・・。もう下関ではさすがにギブアップ寸前まで至り、陽がどっぷり暮れた真っ暗闇の中をとぼとぼ歩いた記憶が鮮明です・・。 神社仏閣は高台にありますので、幕末巡りはアップダウンの連続です・・。また登るのか・・…

玉木文之進旧宅@龍馬をゆく2010

吉田松陰の叔父でスパルタ教育で有名な「玉木文之進旧宅」。 素読中に顔に止まった蠅を掃った松陰少年は文之進にしこたま殴られたという逸話がありますね・・。今は「公」の時間であり蠅を掃う行為は「私」である、「ワタクシ」を優先するな!と・・。 今ではと…

周布正之助墓@龍馬をゆく2016

青山霊園、周布家之墓。お骨があるのは地元山口県のその名も「周布町」のようですが、ご子息が東京に建てたお墓でしょうか。

森有礼墓@龍馬をゆく2016

青山霊園、森有礼墓。「薩摩スチューデント」の一人ですね。薩摩スチューデントと「長州ファイブ」が密航先のヨーロッパで会うというのがまた裏がありそうで面白いところです。 鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」の中の一人でもあります。急進的欧化主義者…

西郷糸子墓@龍馬をゆく2016

青山霊園の西郷糸子の墓。西郷どんの奥さんと言えば、薩摩の西郷邸に龍馬が泊まった際「雨漏りの話」でちょっとした夫婦喧嘩をするようなシーンが思い出されますが、天下国家に生きる男と違い目下大事なのは今住む家の雨漏りの方だ、といったリアルな女性像…

黒田清隆墓@龍馬をゆく2016

青山霊園の黒田清隆の墓。黒田清隆と言えば北海道とゆかりの深い人物ですが、これまた様々な激烈な逸話も残っている方のようで、酒を飲まなきゃめっちゃいい人、なんていう人物評を聞いたこともあります・・。

吉井友実(幸輔)墓@龍馬をゆく2016

青山霊園の吉井幸輔墓。吉井幸輔と言えば物語の中で京都近江屋をねじろとしている龍馬に「危険だから藩邸に来い」と忠告をするシーンが私には印象的ですが、寺田屋で負傷し命からがら薩摩藩邸に匿われ後に京都の薩摩藩邸に移送っされる際に護衛役もした人で…

平井(西山)加尾墓@龍馬をゆく2016

ご周知、土佐勤王党の平井収二郎の妹加尾の墓です。平井加尾と言えば龍馬の初恋の人と言われていますが実際のところはどうだったのでしょう?そして「竜馬がゆく」ではお田鶴様のモデルが加尾だと言われています。無論、私も当初「竜馬がゆく」を読んだ頃は…

後藤象二郎墓@龍馬をゆく2016

青山霊園の後藤象二郎の墓。 土佐にあっては上士と郷士の対立軸にあった龍馬と後藤ですが、長崎での会見以降、大政奉還に絡み龍馬とは切っても切れない関係にありました。一般的な墓石のイメージと違い斬新なフォルム?な様相のお墓です。

白峰駿馬墓@龍馬をゆく2016

冬の青山霊園にやって来ました。そうです、墓マイラーです(苦笑)・・。だいたい「マイラー」になるともう後戻り出来ない深みにハマってる、という事だと思います・・。 「白峰駿馬墓」。青山霊園も奥の方と言いましょうか、青山公園、外苑前側の一角にありまし…

山内神社と「大政奉還を喜ぶ山内容堂公像」@龍馬をゆく2005

高知城から鏡川沿い方向に歩くと「山内神社」がありました。 幕末「四賢候」のひとり、山内容同公。2005年当時ここを訪れた頃の私はまったく幕末を知らないと言える状態の単純なる「竜馬がゆくファン」に過ぎなかったこともあって、正直この殿様がキライで仕…

日本橋@龍馬をゆく2015

「江戸東京博物館」にもその一部が実物大として復元展示されている交通の起点、「日本橋」 龍馬が云々というエピソードは聞きませんが、江戸住みの経験のある龍馬もここを訪れたんでしょうね コンクリの道が蛇のように縦横無尽に入り組む現在の日本橋はまっ…

「近江屋跡」@龍馬をゆく2015

時代は常に変わっているんですね、2006年当時は旅行会社だったと思いますが2015年当時には回転寿司屋の前になっていました。当時には無かった綺麗な龍馬のパネルも設置されていました。ファンとしては嬉しいものですね 幕末当時の醤油商「近江屋跡」地。碑に…

「土佐稲荷」@龍馬をゆく2015

2006年の「龍馬をゆく」の「坂本龍馬暗殺」の項で触れた「土佐稲荷」に再訪しました。 やはり夜は雰囲気がありますね 提灯には「井口新助」の文字が そして額装された龍馬の肖像画もありました。 2006年当時のでろでろになった龍馬像から新調された龍馬像。…

「酢屋」@龍馬をゆく2015

「龍馬通」と名付けられた通りがありました。昔から?あったのでしょうか? やって来たのは9年ぶりの「酢屋」。夜に訪れたのは初めてでしたがあかりに雰囲気がありますね。やはり京都は「あかり」を楽しまなければ、といったところでしょうか。 海援隊京都事…

特別展「始皇帝と大兵馬俑」@東京国立博物館

東京国立博物館(平成館)で現在開催されている特別展「始皇帝と大兵馬俑」に行ってきました 元々「伊能忠敬の地図」、伊能図を観に行くのが目的でして、幕末以外、ましてや中国の歴史など「専門外」な為ええ~・・・と思ったんですが今コレを観に来ないでトー…