うめじろうのええじゃないか!

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龍馬をゆく~広島

厳島神社@龍馬をゆく2013

福山駅前から広島へ向かいます。高速バス、ローズライナーで福山⇔広島間2,300円。 広島に着き平和記念公園に向かいました。我々の時代は(今も?)関東の高校の修学旅行といえば広島、というのが相場でしたが、私の通った高校は特殊な校風だったせいか広島で…

「龍馬と鞆の浦マップ」@龍馬をゆく2013

鞆の浦の町中に「龍馬と鞆の浦」という立派な周辺マップが掲げられていました。鞆の浦は龍馬ファンに優しい町ですね。 鞆の浦の旅もこれで終わりです。僅かな滞在時間でしたが、非常に有意義な時を過ごさせていただきました。 素晴らしい景観、歴史がそのま…

太田家住宅【鞆七卿落遺跡】@龍馬をゆく2013

鞆の浦の名物として、「保命酒」があります。その保命酒のお店が歴史的な建造物と共にあり、その街並みとともに感嘆させられます。 かの高杉晋作の文久元年の日記にも、「午後鞆津上陸、保命酒求めかつ入浴」とあり、江戸への航海途中に立ち寄っていることが…

「対潮楼」@龍馬をゆく2013

いろは丸事件の「現地談判の場」となった「対潮楼」へ向かいます。 当時を偲ばせる細い坂道、石垣を縫うように昇ります。古写真を見るとこの石垣の下、今私が歩いてきた道路の所が海岸線で当時はすぐ下が海でした。 到着しました。立派なお寺さんの本堂の様…

「いろは丸展示館」@龍馬をゆく2013

しかしこの道幅の細さ、当時の様相をそのまま保存したかのような町並みに惚れ惚れする思いです・・。 さあ、やって来ました「いろは丸展示館」。先出でご紹介させていただいておりますが、今回は「いろは丸展示館」そのものが主題です・・。 館前には龍馬のガラ…

「怒りの龍馬」にリアルな龍馬像を見る@龍馬をゆく2013

「いろは丸展示館」にある龍馬の人形です。桝屋の二階の龍馬、を再現しているそうですが、希望の船を沈没させられてしまった怒りが溢れるようです。龍馬としてはおそらくその先に「蝦夷地開拓」の夢、も描いていたのではないでしょうか。 紀州藩としては、や…

魚屋万蔵方@龍馬をゆく2013

西浜からほど近くに「魚屋万蔵方宅」があり、龍馬らと紀州藩側との交渉、応接所となりました。 外観は変わったとは言え建物は現存しているといい、むしろ雰囲気を出したものにしてくれています。今はお食事?宿泊?のお店となっているのでしょうか。 「萩ま…

円福寺@龍馬をゆく2013

一方、明光丸の船長、高柳ら紀州藩側の宿泊所となったのがここ、円福寺。 高台にあり境内からは鞆の港が見渡せるロケーションです。 道を挟んだもうひとつ向こう側の高台には談判の場となった「対潮楼」があり、なるほど御三家の宿泊施設は「いいところ」に…

「桝屋」清左衛門方二階@龍馬をゆく2013

「桝屋」という回船問屋にやってきました。 「坂本龍馬宿泊跡」の碑が建っています。 「桝屋」は土佐藩の御用を務め、亭主は長崎の小曽根英四郎と懇意だったといいます。 「坂本龍馬宿泊跡」「桝屋清左衛門宅」の看板が掲げられています。「龍馬の隠れ部屋」…

西浜の船着場の石段@龍馬をゆく2013

ひとまず鞆の浦へ上陸することになった龍馬ら34名の乗組員たち。西浜は龍馬らが上陸した場所と言われており、船着場の石段が当時を偲ばせ雰囲気があります。 たくさんの船が繋がれていて、船こそ今風ですが、昔ながらの雰囲気があります。しばしここで何とも…

いろは丸が沈む海@龍馬をゆく2013

慶応3年(1867)4月19日、長崎を出航したいろは丸は大坂に向かっていました。夜22時過ぎ、深い霧の中備中六島海域を航海中、いろは丸は突如現れた巨影と衝突。衝突した相手は、いろは丸のざっと5倍はある紀州藩船、明光丸でした。すさまじい衝突、二度も突か…

鞆ノ浦(鞆港)@龍馬をゆく2013

さあ、いよいよ2013龍馬をゆく。ここに行く為だけに飛行機に載って北海道からやってきました。福山駅から「ともてつバス」に乗車して鞆港に向かいます。 高速バスのみならず、最近は地元の在来バスに乗る機会も増えたような気がします・・。幕末巡りはそもそも…

福山城@龍馬をゆく2013

2013年の「龍馬をゆく」では広島を訪れました。福山駅のすぐ脇が「福山城」で、新幹線のホームの「向こう側」にそびえるお城が立派です。 幕末の福山藩主といえばこれまた幕末ファンには避けて通れない?阿部正弘ですね。幕末の筆頭老中で日米和親条約締結、…