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龍馬をゆく~京都

伏見寺田屋【竜馬通り商店街】|龍馬をゆく2023@京都

【龍馬をゆく2023】伏見「竜馬通り商店街」の記録@京都2023

【後藤象二郎寓居跡記念ギャラリー】|ホテルリソル京都河原町三条|@龍馬をゆく2023

【後藤象二郎寓居跡記念ギャラリー】@ホテルリソル京都河原町三条|龍馬をゆく~京都~2023

マスク外れた龍馬像、軍鶏鍋振る舞いも復活ぜよ!【2022龍馬祭】@京都2022

2022龍馬祭レポ@京都霊山護国神社|軍鶏鍋

甲子役 戊辰役 薩藩戦死者墓|相国寺|@【龍馬をゆく】2022

【龍馬をゆく】薩藩戦死者墓@京都相国寺

「浪人のアジト」【方広寺大仏殿跡】@龍馬をゆく2022

おりょうがその晩年、語ったとされる「聞き書き」。 そこに土佐の浪人達が潜伏していた「アジト」の話として、「大仏」が出て来ます。 「大仏」とは、かつて京の都に存在した方広寺の大仏の事であり、その周辺地域のことを単に「大仏」と呼んでいたんだと思…

【十津川屋敷跡地】碑|京都|幕末|@龍馬をゆく2021

御所の東の南側に、「十津川屋敷跡地」碑がありました。 なるほど、ガッチガチの勤皇の十津川郷士の屋敷はここにあり、篤く御所を守護していたということですね。 以前十津川村を訪れた記事を上げましたが、元道民として「新十津川町」のルーツを辿るもので…

【本圀寺】なぜ山科へ移転をしたのか?@龍馬をゆく2022

大宮通り沿いの六条付近に不思議な石碑が建っています。 「大本山本圀寺」。 「お寺」?の石碑にも関わらず、周囲は住宅が立ち並んでおり、それらしい雰囲気はありません なんだろう・・? (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 調べてみると、…

【幕末志士葬送の道】|龍馬坂|(龍馬が運ばれた道)@京都2021

幕末・龍馬巡りで初めて京都を訪れた2006年当時、「龍馬が運ばれた道」というログを上げました。 これは、霊山護国神社の南側に位置する坂なのですが、元々はこの階段を上がった先にある「霊明神社」に葬られていたことに由来する訳であります。 今現在の位…

【孝明天皇陵】|泉涌寺|@龍馬をゆく2021

あれは昨年2021年の初夏、6月だったと記憶していますが、めちゃくちゃ暑い日でした・・・。 泉涌寺まで坂を登って既にヘトヘト・・・。照り付ける日差しがもはや真夏のそれで、クラクラめまいがするくらいの暑さでした・・。 泉涌寺に着きました。が、この日は久邇宮…

久邇宮墓地【朝彦親王墓】@龍馬をゆく2021

泉涌寺の駐車場の奥に、久邇宮家墓地があります ここに久邇宮朝彦親王の墓があり、訪れました 合掌ー。 厳重に閉ざされた敷地の向こうに、土山のような盛り上がりが見えます。あちらが朝彦親王のお墓のようです。 朝彦親王は文政七年(1824)のお生まれのよ…

【梨木神社】三条実美頌徳碑@龍馬をゆく2021

今年も残すところあとひと月、という所ですが、今年も2021年幕末巡り・史跡巡り関係のログがUPし切れない見込みとなりました・・・。編集が全然追い付かず・・・。 さて、今回は「梨木神社」です こちらは元々三条家の邸宅跡ということで、久邇宮朝彦親王の令旨に…

幕末期醤油商の姿が残る【澤井醤油本店】@龍馬をゆく2021

今日はご周知、坂本龍馬の誕生日であり命日ですね。 坂本龍馬は京都の醤油商「近江屋」で暗殺されました。当時風邪をひいていたという龍馬。身を守るべく普段潜んでいた土蔵から、母屋二階で暖を取っていたようです。この時の様子は、色々なテレビ番組等で紹…

【姉小路公知墓】@龍馬をゆく2021

墓参ラー記事です。 「姉小路公知の墓」。 合掌ー。 姉小路公知の記事は、これまでいくつか上げて参りました。 特に私の好きな作品、司馬遼太郎「幕末」に収められている「猿ヶ辻の血闘」にて、御所の鬼門である猿ヶ辻で襲われ暗殺されてしまいます・・。 a-jy…

松平容保公寄宿の地|松林院旧跡|清浄華院|@龍馬をゆく2021

お馬 御所の東にある、「清浄華院」。 ここの境内にある「松林院旧跡」 ここは幕末、京都守護職であった会津藩主・松平容保公逗留の地でもあります。 「会津藩主 京都守護職 松平容保公寄宿の地」碑。 ご周知、京都守護職は「くろ谷さん」こと、金戒光明寺に…

【佐久間象山墓】|妙心寺|大法院|@龍馬をゆく2021

妙心寺を訪れました。なんとも広大な敷地・・・。境内がひとつのタウン化しているようで・・・圧倒されます・・・。まさに巨大寺町・・。 各地に、「昔はここまで全てが寺の敷地だった」という場所がありますが、なるほど、当時の寺の広大な敷地というものは、このよう…

【菊屋峰吉の墓】|鹿野安兵衛墓|百萬遍知恩寺|京都|@龍馬をゆく2021

「菊屋峰吉」。龍馬ファンなら周知の人物ですね。 当時中岡慎太郎が身を寄せていた京都の寓居、土佐藩御用達の書店「菊屋」。そこの息子「菊屋峰吉」こと、鹿野峰吉です。 そして特別幕末に興味が無い方でもこれはさすがに聞いたことがある、「坂本龍馬暗殺…

木戸孝允邸@龍馬をゆく2021

二条の鴨川沿いに近い場所にある「お宿いしちょう」。その玄関先に石碑が建っています 「木戸孝允旧跡」。 この一帯は元々、近衛家の別邸であったそうです。維新後、公家や要人が東京に転居する一方で、「維新の三傑」となった木戸孝允が京都別邸として購入…

橋本左内寓居跡@龍馬をゆく2021

二条城のすぐ前、東側にめちゃくちゃ立派なホテルがありますよね・・。「ホテル・ザ・ミツイ・キョウト」でしょうか・・。どうやら、セレヴィーな人が宿泊するホテル、佇まいもめっちゃカッキカキです・・! こちらは幕末、福井藩邸があった場所のようで、その北側…

鷹司邸跡(久坂玄瑞自刃の地)@龍馬をゆく2021

御所です。堺町御門。幕末、禁門の変時には、ここでも地獄絵図が展開したであろう場所のひとつです 文久三年(1863)、八一八の政変にて長州藩は京を追われました。失地回復に努めるべく、京の都を駆けまわっていた長州藩士たちでしたが、翌年6月、まさにそ…

中岡慎太郎寓居之地@龍馬をゆく2019

2019年3月、滋賀に引っ越しの当日、京都じゃ、京都じゃ!と心躍ってしまい、引っ越しそっちのけで幕末巡りをしてしまった記録です・・。(2021年時点でまだまだUPし切れず・・苦笑) 「中岡慎太郎寓居之地」碑。 そうです、今や若者に大人気の?「抹茶館」となっ…

久坂玄瑞、吉田稔麿等寓居跡@龍馬をゆく2020

「久坂玄瑞、吉田稔麿等寓居跡」碑法雲寺のこの界隈、ご周知、長州藩邸跡地にほど近い場所です。なるほど、この界隈には長州藩士らが多く居住していたと見え、文久二年(1862)には長井雅楽の殺害に失敗した久坂玄瑞らが藩に自首し、当寺で謹慎していたそう…

間部詮勝寓居跡@龍馬をゆく2020

鯖江藩主間部詮勝。大老、井伊直弼「井伊の赤鬼」そして「間部の青鬼」として「安政の大獄」で尊皇攘夷派を弾圧した老中として知られます。 我々、幕末ファンに有名なのが、安政の大獄で捕えられた吉田松陰が、間部の暗殺を企てていることを自ら告白、死罪と…

コロナ禍【2020龍馬祭】レポ@龍馬をゆく2020

新型コロナウイルス禍による中止も懸念されていた、2020年の龍馬祭でしたが、霊山護國神社では無事、法要が執り行われておりました2020年11月15日の龍馬祭のレポです(なんとか年内にUP間に合いました・・!) 私自身も、5年ぶりに11月15日に休みが当たり、京…

明保野亭跡@龍馬をゆく2020

「竜馬がゆく」でお馴染みのスポット、「明保野亭」。三寧坂の超絶観光スポットに、現在の明保野亭があります。物語の中で、龍馬がお田鶴様と密会する舞台ですね。最初に「竜馬がゆく」を読んだ頃の私は、お田鶴様も実在する人物だと思っていました・・。お田…

「大西郷・月照謀議の跡」(静閑寺・郭公亭)@龍馬をゆく2020

西郷隆盛と清水寺の住職・月照。定説では二人は入水自殺を図り、西郷だけが奇跡的に助かった、という事になっていますが、幕末におけるその二人の関係性に注目するところのうめじろうです今回、その二人が「謀議をした」とされる茶室、「郭公亭」のある静閑…

二条城@龍馬をゆく2020

2006年以来、14年ぶりに二条城内を見学しました。2006年のログを見るに、この同じ場所で同じアングルで写真を撮っているんですね・・。人間の行動パターンというものは、自ずと決まっていることを実感いたします・・・苦笑 しかし、門が当時より綺麗になっちょる…

下鴨神社@龍馬をゆく2020

上賀茂神社を訪れた後に、今度は下鴨神社を訪れました 幕末ファンとしては、両方同じ日に訪れなければなりません・・笑 残念ながら私には、神社仏閣に関する知識が無いので、詳しい事が解りません・・。もう少し勉強をして訪れれば、何倍も楽しめると思うのです…

上賀茂神社@龍馬をゆく2020

「鴨」とは何ぞや。我々「幕末人」は、ついつい新撰組局長、芹澤鴨を連想してしまうのですが、古代民族の種族を表す名称のひとつらしく、鴨族は古代大和の葛城山麓一帯に住んでいた種族らしいです。そもそも、鴨の語源は「神」にあり、「カモ」「カミ」「カ…

「京都守護職上屋敷跡」@龍馬をゆく2020

2006年以来の、京都守護職上屋敷跡地です。前回は「新撰組」のカテゴリーでしたので、今回は「龍馬をゆく~京都編」に組み込みたいと思います 京都守護職会津本陣は、「くろ谷」さん、金戒光明寺ですが、ここは市中にあった上屋敷の跡地ということで、現在の…

大仏南門「土佐志士寓居跡」@龍馬をゆく2020

この界隈、有名な三十三間堂の近隣にて、南大門の現在の塩小路通りになります。かつて豊臣政権が、文禄年から造営した大仏殿方広寺があった場所で、当時は相当広大な敷地面積であったそうです。京博や、三十三間堂、「血天井」で有名な養源院などもその境内…