うめじろうのええじゃないか!

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龍馬をゆく~高知

「ブラタモリ高知編」面白かったですね@龍馬をゆく2017

そいや、先日の「ブラタモリ」高知編も面白かったですね~!ちくと私、うめじろうの「龍馬をゆく」から逸脱して申し訳ありませんが、「高知」の項に入れさせていただきました・・! 「龍馬をゆく」の私としては、やはり種崎の「中城家」に入っている事にはまさ…

「龍馬ラテ」@龍馬をゆく2016

2016龍馬をゆく高知編で立ち寄らせていただいた「茶房らんぷ」。地元の方が集う昭和な雰囲気の喫茶店です。 目的は、コレ。「龍馬ラテ」550円。 高知土産でも有名な「ミレービスケット」も付いてました。ふう~・・コレいただいて、龍馬をゆく2016高知編も終了…

「幕末志士社中」@龍馬をゆく2016

高知駅前の「とさてらす」に隣接して「龍馬伝」幕末志士社中という施設がありました 時間があったら立ち寄ってみよう、と思って、土佐紀行の最終日空港に行く前に寄ってみました ここは大河ドラマ「龍馬伝」で使用したセット等展示されている施設のようです …

「とさてらす」@龍馬をゆく2016

11年ぶりに訪れた高知駅はすっかりリニューアルされていてびっくり!モダンな感じに仕上がっています その高知駅前には「とさてらす」と銘打った観光情報センターが小奇麗に展開しちょる・・! 館内には高知の観光を案内する展示やお土産コーナなども設置され…

坂本龍馬誕生地@龍馬をゆく2016

上町病院、ホテル南水のあたり、「坂本龍馬誕生地」にやって来ました 電車通りに面した病院の脇にはおなじみの「坂本龍馬誕生地」の碑があります 2005年2月に始めた私の龍馬を巡る旅、「龍馬をゆく」開始の地です 初めてここを訪れた時、感動に打ち震えなが…

和霊神社@龍馬をゆく2016

龍馬が脱藩時に武運長久を祈願したといわれる「和霊神社」を訪れました 高知城下から車で20分程度でしょうか、非常に入り組んだ住宅地を分け入り和霊神社へ向かいます 恐らく民間の方の善意でしょう、「和霊神社駐車場」と掲げられた駐車場に車が2~3台駐車…

「龍馬パスポート」@龍馬をゆく2016

今回の「龍馬をゆく」では「龍馬パスポートⅡ」というものをゲットしました。2012年に始まったという「龍馬パスポート」は高知観光各所で割引サービス等が受けられる楽しい「旅券」です。パスポート参加施設でスタンプをもらい、集めると「ステージアップ」し…

八畳岩@龍馬をゆく2016

田中良助邸の裏側の山が坂本家が所有する「坂本山」と呼ばれる山だったそうです その坂本山に「坂本山のかがり石」と言われる垂直に立った大きな岩があり、そこを訪れます 山道に分け入って左側を見上げると、突き出した大きな岩盤が見えます、ははあ、あれ…

田中良助墓@龍馬をゆく2016

田中良助邸の左奥へ続く小道を登ると小高い丘にお墓がありました 田中家代々のお墓が並んでいます 田中良助の墓 ちなみにこの日は小雨舞う陽気で、丘を登る地面が濡れていて露出した岩が非常に滑りました・・。雨の日には注意が必要です。 このお墓から高知城…

田中良助邸@龍馬をゆく2016

坂本家が所有していた山林を管理していたという田中良助。その邸を訪れるべく「柴巻」という山中にやってきました そうした坂本家と田中家との関係から、ここを度々訪れていたという龍馬。龍馬はここを訪れては良助と碁や将棋を楽しんでいたそうです。 高知…

「高知県立坂本龍馬記念館」@龍馬をゆく2016

わー、懐かしい・・・こちらも11年ぶりに訪れました~。「高知県立坂本龍馬記念館」。 当時無かったものとしては館上部に設置されていた龍馬が描かれた大きなパネル、そしてコレ。「シェイクハンドぜよ~!」ってやつですね。 この感じ・・どこかで見たようなデジ…

龍馬像@龍馬をゆく2016

桂浜です。「龍馬生誕百七十年記念樹」という標柱と共に木が植えられていました。 ひさしぶりに桂浜の龍馬像にお目に掛かります う~ん・・相変わらず高い台座の上にいらっしゃいますね・・・。 この像はありとあらゆるお土産品等にも登場しますから、全国各地に…

桂浜@龍馬をゆく2016

やあ!懐かしや桂浜!2005年以来です んん~・・テレビ等の映像でも良く見るこの景色・・、2回目の訪問なのにそれ以上訪れているような気になるのはどうしてでしょうか・・(苦笑)。この日はちょっと小雨舞う天候で、ザッとこないか心配しながらの桂浜でした。 あ…

「中城家」?@龍馬をゆく2016

今回2016年の「龍馬をゆく」高知編ではレンタカーを借りて城下から少し足を延ばしてみました。高知県護国神社から桂浜方面へ向かい浦戸大橋手前に位置する種崎という地区へ行きました。そうです、慶応3年(1867)種崎に上陸した龍馬が潜伏していたという「中…

「龍馬愛用の木刀」@龍馬をゆく2016

2016年の「龍馬をゆく」では、「坂本龍馬愛用の木刀が奉納されている」という高知県護国神社を訪れました 期間限定の特別拝観期間ということで事前予約をして伺いました。社務所に案内されて部屋に入ると、白い布に覆われた物体がテーブルに置かれており、ほ…

高知県護国神社@龍馬をゆく2016

今回の旅では、「坂本龍馬の使っていた木刀が保管されている」という高知県護国神社を訪ねました 高知空港からレンタカーを借りて向かいましたが、知らない土地の入り組んだ場所はやはり少し迷いました・・。 長い石段を登り高台に到着です。「御祭神」の「明…

武市半平太・富子墓@龍馬をゆく2016

武市瑞山史料館のある瑞山神社から更に一段登った高台に、武市家の墓がありました 武市半平太と寄り添う富子の墓 墓石には「武市半平太小楯」とあります 武市は多才な男として浄瑠璃をやり、その他南画・美人画もやり玄人の域であったと言われています。妻・…

武市瑞山資料館@龍馬をゆく2016

武市半平太旧宅、武市家墓との間に位置する「瑞山神社」。その前にあるのが「武市瑞山資料館」です。 中は綺麗に整備されていて、ゆっくりパネルを見学することが出来ました 「武市瑞山先生」も大きな木像がありました 美人画を描くのが好きだったと言われて…

瑞山神社@龍馬をゆく2016

武市半平太旧宅から右手に登った丘に「瑞山神社がありました 神社の手前は「武市瑞山史料館」となっていて、半平太にまつわる資料が展示されています 大きな刀の銅像。なんだか迫力がありますね・・。

武市半平太旧宅@龍馬をゆく2016

今回の「龍馬をゆく」旅はレンタカーを借りて足を延ばしてみました。土佐国長岡郡仁井田郷吹井村の「武市半平太旧宅」を訪れました いろいろな「龍馬本」に登場するのでビジュアル的にはああ、ここか、という感じです 武市半平太旧宅。現在は民家となってい…

板垣退助像@龍馬をゆく2016

高知城の板垣退助像です。物語では龍馬を喧嘩(決闘?)するシーンに緊張感がみなぎりますが、龍馬にいとも簡単にやりこめられてしまう退助・・ 「板垣死すれど自由は死せず」が有名な板垣退助ですが、自由民権記念館に行った2005年を思い出します

高知城@龍馬をゆく2016

高知城です。相変わらず立派な門に、やはり日本人としては興奮を隠せないですね。 私は「城マニア」ではありませんので、どこの城がどう秀でているとか、そういったうんちくは解らないのですが、純粋に今から何百年も前によくこれだけの石を整然と積み上げれ…

山内一豊像(藤並神社跡地)@龍馬をゆく2016

高知城にやってきました。久しぶりですがこの景観、よく覚えています。2005年当時に訪れた際、「青空将棋」をやってる人々の姿が珍しくへえ~、と思ってその様子を見たことが思い出されます。その青空将棋の音がパチパチとする場所は幕末の頃は「藤並神社」…

平井収二郎墓@龍馬をゆく2016

平井収二郎のお墓を訪ねました 平井収二郎の墓。青蓮院宮令旨事件で弘瀬健太らと共に切腹。この事件が山内容堂による一連の土佐勤王党弾圧のはじまりとされている事件です。合掌。

平井収二郎・加尾誕生地@龍馬をゆく2016

丹中山の墓所から山を下りて線路沿いの場所にあった「平井収二郎・加尾誕生地」。 「龍馬」に欠かせない平井兄妹ですね。

坂本家墓@龍馬をゆく2016

永福寺の裏手側に広がっている丹中山、小高坂山に眠る幕末の多くの人々。その山に2000年頃から本格的に開発が始まったといいます。 2006年、歴史写真家・前田秀徳氏の「龍馬、原点消ゆ。」という本が刊行され私も購読しました。 前田秀徳氏はこの土佐の歴史…

永福寺(井口村刃傷事件現場)@龍馬をゆく2016

永福寺までチャリンコをこいでやって来ました。ここは龍馬ファンには「鬼山田」の名とともに有名なポイントのひとつですね。「井口村刃傷事件」がここ永福寺の門前で起こったといわれています。 文久元年3月、山田広衛(鬼山田)と郷士・中平忠次郎の肩がこ…

弘瀬健太邸跡@龍馬をゆく2016

高知市内の至るところに私たち龍馬ファンの「巡り」を手助けするべく、案内板が設置されていてありがたいですね。しかし、こう書いてあっても場所がわからん・・といった場所も多々ありますね・・・。 ここもそのひとつかも知れません、土佐勤王党幹部のひとり「…

望月亀弥太邸跡地付近@龍馬をゆく2016

池内蔵太邸跡地付近からすぐの界隈が望月亀弥太邸だったそうです。明確な場所は解りませんが、駐車場がある敷地界隈でしょうか。「亀」は龍馬の勧めもあって勝門下となり航海術を学んだと言われています。そして「池田屋」にて討死してしまいます。

池内蔵太邸跡地付近@龍馬をゆく2016

国道から江ノ口川を跨いだあたりが池内蔵太邸跡地付近だそうです 土佐勤王党に加盟し脱藩後には亀山社中で龍馬らとともにありましたが、五島列島沖でのワイルウエフ号沈没で遭難死してしまいます。 上写真は長崎での「亀山社中ば活かす会」さんの看板です