文久元年3月、山田広衛(鬼山田)と郷士・中平忠次郎の肩がここ永福寺の門前でぶつかった。忠次郎は謝るが、郷士を見下した山田は抜刀。忠次郎を斬り殺してしまう。知らせを受けた忠次郎の兄、池田虎之進は現場に駆け付け鬼山田を発見し斬り殺した。
この事件により、上士と郷士が互いに一触触発の緊張状態となり、龍馬もこの時郷士側に参加したと言われています。物語上では龍馬が上士側に単身乗り込み諭すといった場面が描かれるが(竜馬がゆく文庫2巻P192)
この事件より半年後、「土佐勤王党」が結成されるのです。