妙心寺を訪れました。なんとも広大な敷地・・・。境内がひとつのタウン化しているようで・・・圧倒されます・・・。まさに巨大寺町・・。
各地に、「昔はここまで全てが寺の敷地だった」という場所がありますが、なるほど、当時の寺の広大な敷地というものは、このようなものだったのか、と納得させられる気がしますね・・。
その広大な敷地の中に、いくつもの寺院があり、その中のひとつの「大法院」に向かいました。今日は、佐久間象山先生の墓マイラー。ここには初めて訪れました。
「象山佐久間先生墓道」をゆくと、大法院が見えてきました。
こちらの墓地に、幕末の洋学者、佐久間象山の墓があります。
ありました。
「象山佐久間先生墓」。
龍馬も象山塾で砲術を学んだことなどが有名ですが、象山はそのエヘンプイな性格から?敵も多かったようです・・。「俺は国の財産だ」などと言っていたという逸話もあり、西洋かぶれの自信家に、攘夷志士達が敵視していたことが容易に想像出来ます。
元治元年(1864)七月十一日、白昼、攘夷派によってメッタ刺しにされて暗殺されてしまいます
墓石に刻まれた、元治元年七月十一日。
合掌ー。
ところで、ご住職が生前、九重親方と懇意にされていたそうで、千代の富士の慰霊碑がありびっくりしました・・!
いや、私も少年時代のスーパースター力士と言えば千代の富士関でしたし、大ファンでしてね、また函館にも数年間暮らしておりましたもので・・・などと、ご住職にしてみればコイツ何言ってんだ・・という事を言ってしまいまして・・、ちょっと興奮してしまいました・・。