十四世紀末、室町幕府三代将軍・足利義満により創建された相国寺。
その足利義満によって禅寺の格付けがなされ、京都の「五山」が定められたといいます。
そりゃ、本人が創建した寺は入るよね、ということで京都五山第二位「相国寺」。笑
ちなみに五山は以下
・第一位 天龍寺
・第二位 相国寺
・第三位 建仁寺
・第四位 東福寺
・第五位 万寿寺
足利義満と言えば「勝林院」の項でも触れましたが「声明」ですよね。
応永13年(1406)、宮中で催された天皇家の法要に、義満は武家出身として初めて声明を披露した。
これは当時宮中に与えたインパクトは相当なものであったと思われます。
あの、花びらを撒きながら謡うやつですね。出家後の僧侶な姿の義満しかもうイメージ出来ません・・。
ちなみに「千本釈迦堂」こと大報恩寺のちょっと右上、北東方向に「花車町」という地名があると思いますが、これは室町時代に足利義満が乗った花車(お祭りの山車みたいなやつ)が壊れたのかハマったのか、そこで動けなくなったらしく、そこから「花車町」の地名が来ているそうです。
相国寺は同志社大学今出川キャンパスの北側にありますが、ご周知、この界隈は幕末には薩摩藩の二本松藩邸があった場所ですね。
元々二本松藩邸は、相国寺の土地を借りて建てられたものでありましょう。
こちらには幾度か訪れていたものの、なかなかUPするに至っておりませんでした・・。
2021年初夏に訪れた時に、この鐘楼(洪音楼)の前で地元のおばちゃんが立ち話で「スーパーまつもと」の文句を言っていたのが印象に残っています・・・苦笑
「浴室」ということですが、蒸し風呂でしょうか?
「宣明」(せんみょう)と呼ばれるそうですが、1400年頃の創建ということで(現在のものは1596に再建、2002年に復元修復されたものだそうです)、凄いですよね・・・。
さて、私の「本題」はこちらです。
「甲子役 戊辰役 薩藩戦死者墓」。
禁門の変、戊辰戦争で無くなった薩摩藩戦死者のお墓が建立されていました。
個人的には戊辰戦争時以降になると急に幕末熱が冷めてしまいます・・・。何故か、とても違和感を感じるというか・・・サムライ感が無くなってしまう感覚がとてもつまらなく感じてしまうんですよね・・・。
2022年現在、最近はだいぶ幕末にまつわる世間の味方も変化してきたように感じます。
いわゆる、「勝者」による明治以降の「薩長史観」で塗り固められた塗料が、いよいよ剥がれ落ち始めているような・・そんな気がする令和の今日この頃です。
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