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鷹司邸跡(久坂玄瑞自刃の地)@龍馬をゆく2021

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御所です。堺町御門。幕末、禁門の変時には、ここでも地獄絵図が展開したであろう場所のひとつです

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文久三年(1863)、八一八の政変にて長州藩は京を追われました。失地回復に努めるべく、京の都を駆けまわっていた長州藩士たちでしたが、翌年6月、まさにその文久三年に編成された新撰組の手に掛かります。

池田屋事件

元治元年(1864)、池田屋で同志が多数殺害された長州藩は沸騰します。

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暴発長州軍の事実上の謀将、過激攘夷派で元久留米の神官、真木和泉、そして激烈急進派の「来島のじいさん」来島又兵衛。男山八幡宮における軍議にて、「松門の双璧」久坂玄瑞は必死に暴発を止めます。

長州追討令の朝命が出て戦闘すれば、朝敵になる。幕府や薩摩、会津の戦備も整ってしまっているし、汚名を残すことになるのは好ましくない。ここはひとまず、兵をまとめ大坂へ引きましょう。

だまれっ!!義助!!

来島のじいさんが叫びます。貴様のような医者風情に何がわかる!戦わざれば戦わざるもよし、この又兵衛のみが戦う!おぬしらは

東山へでも登って、この又兵衛の働きを見物しておれ!

結局、過激老人に押し切られる恰好で説得に失敗し、禁門の変に暴発してしまいます

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尊王攘夷」「討薩賊会奸」のぼりがはためき、悪鬼の如く荒れる又兵衛。一橋勢、会津勢を圧しに圧す長州勢。しかし、現れた「薩賊」によって来島又兵衛が討たれ、長州勢は一気に潰滅に向かってゆきました。長州軍、敗走。

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一方、鷹司邸に籠城していた久坂らは、鷹司政道へ長州の正当性を嘆願すべく、弾丸飛び交う邸内を駆けまわっていました。必死に嘆願する久坂。しかし、政道は久坂の嘆願に取り合うこと無く、逃げ去るように参内してしまいました。

「もはや、これまで」

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「殿を朝敵にしてしまった以上、もはやこれまで」

久坂は、松門の同窓であった寺島忠三郎と共に、太刀を抜き合い刺しちがえて命を絶ちました・・・。凄絶な死に様であったといいます・・。

そんな幕末の現場、「鷹司邸跡」。ならびに「久坂玄瑞自刃の地」。

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鷹司邸跡には、大きな石と、そして碑が建っていました。案内板も設置されていましたが、長年の風雨等によってかなり見にくくなっています。

そのような激動の幕末とはうって変わって、現在では穏やかに御所を散策する人たちの姿がありました。そうした凄惨な幕末の事件に想いを致しつつ、赤ちゃんと日向ぼっこをする母子の穏やかな姿に、なにやらホッとするような、幕末から現代に還り、湯につかって身体が温まってくるような、そんな不思議な感覚になったのでありました。

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@京都2021