2006年以来ですね、久しぶりの再訪となりました「蛤御門」。
長州軍は、総帥国司信濃指揮する一隊は中立売御門へ、もう一隊の来島又兵衛率いる兵四百が護王神社前で更に二隊に別れ、一隊は下立売御門へ、来島又兵衛率いる隊は蛤御門に突撃します
唐門を護る幕軍最強の会津兵、互いに憎悪する長と会は激しく激突しました。砂上に血が散り長州が暴れまくります。会津兵は圧されバタバタと倒れ出します。そこへ、幕軍総大将一橋慶喜が兵四百を率いて駆けて来ました
幕軍と長州軍の激しい戦闘。慶喜の指揮により奮闘する幕軍、やや長州がおされはじめたその時・・
ドカンという砲声と共に、来島又兵衛二百の隊が蛤御門に討ち入ったのです!
蛤御門には、禁門の変の時の弾痕といわれる痕が多数残っています
悪鬼のごとく荒れ狂う又兵衛。実際には諸門で戦闘があったのですが、来島が荒れた蛤御門の戦闘が最も激しく、防戦側も主戦場をこの御門にせざるを得なくなったようです。それにより、後にこの騒乱を「蛤御門ノ変」(禁門の変)と呼んだそうです。
来島又兵衛の奮迅で、蛤御門の前を占領した長州軍。しかし、その直後には乾御門から現れた薩摩軍によって、敗走することになるのです