うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

桂小五郎・幾松寓居跡@龍馬をゆく2019

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2019年3月、滋賀への引っ越し当日、大阪空港から滋賀へ向かう途中、京都じゃ京都じゃ、と興奮してしまい引っ越しそっちのけで幕末巡りをしてしまった記録です。笑

2006年2015年に引き続き3回目なので、今回は「逃げ」の桂小五郎と、幾松について語ってみたいと思います

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ご周知、長州藩桂小五郎。時は幕末、長州藩の「暴発」は今で言えばテロでしょう。私、うめじろうは、佐幕でも勤王(西国雄藩)でもありませんが・・笑、幕府側から見た当時の長州藩はまさに「テロ国家」のそれであったことでしょう。有名な「禁門の変」では、高杉晋作とともに「松門の竜虎」と言われた久坂玄瑞が自刃したり、嵯峨野天龍寺に陣を張っていた来島又兵衛が討死しましたが、戦火の中を乞食に身をやつして逃げていた男がいました。そう、桂小五郎です。そしてまた、それを必死に探す女がいました。三本木の芸妓、幾松(のちの夫人・松子)です。

乞食に化けた小五郎は、三条橋下などにもいたらしいですが、幾松は京の焼け跡をさまよい小五郎を探し続けます。ある日、京の難民が多数「大津に集まっている」という噂を聞いて、大津まで探しに行ったというのですが、これは現滋賀県民の私の興味をそそるところです。そして大津の町外れにて、乞食に身をやつしていた小五郎を再開する、という話です。京に戻った小五郎は、今度は按摩に化けて大坂にくだり、その後出石城下に潜伏していたそうです。城崎温泉にも潜伏していたそうですね

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この時代、妾といういわば公認の制度にて、殿様のみならず一定の地位ある者には各地に女がありましたが、小五郎のモテっぷりも半端無いように思えます。上記、城崎温泉の当時「松本屋」(現つたや)の宿の娘、タキと出来ていたのは城崎温泉潜伏中のことでしょう。出石では荒物屋に化け隠棲し、当時十三歳のおスミを嫁にしています。

そして幾松がまた凄く、ウチの小五郎をお世話してくださってありがとうと、出石のおスミにも、また松本屋のおタキにも、後々様々な形で当時の恩に酬いていたというのです。妾とは公認のものですから、今で言う不倫とは別モノなのかも知れませんが、当時の在り様として、おスミもおタキも、この人は時期が来たらどこかへ戻って行ってしまうお人や、という事をはじめから解っていたんだろう、と思いますね。それまでお世話して支えるのだ、と。

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「池田屋」の時にも、集まる事になっていた同志の中で、唯一の生き残りとなった「逃げの」小五郎。ご周知、江戸三大道場のひとつ、斎藤弥九郎の練兵館の塾頭も務めていましたが、その斉藤弥九郎の教えとして徹底した殺人否定があった、とも言われます。そうした道場での「教え」も、「できれば逃げよ」という事であったのかも知れません。小五郎は幾松に、「わしの剣は士大夫の剣だ」(逃げること)と言っていたようです。同じく、江戸三代道場の千葉門・北辰一刀流の龍馬も、剣の達人でありながら人を斬ることはありませんでしたよね、銃殺はしてますが・・。

ちなみに、司馬遼太郎「幕末」に収められている「逃げの小五郎」では、京の三本木の料亭「吉田屋」に潜伏中の小五郎を、京都見廻り組組頭・佐々木只三郎が踏み込むシーンが描かれています。ご用改めである!と踏み込む只三郎らが、次々と次の間の襖足蹴に開け倒し進むと、最後の間にいたのは小五郎ではなく幾松ただひとり。銀扇を煌めかせ京舞を舞っているのです。呆気にとられる只三郎・・、今の今までそこにいたはずの小五郎は消え、キラキラと舞う幾松の優美な舞いのシーンが私的には珠玉でして、それはもう映画か何か、映像が見えてくるようですね。ここにも小五郎と幾松の関係性が見事に表現されているようで、オススメの小説です!

 

おっと、いけない・・。こげな所で、私の頭と心は完全に幕末にタイムトリップしてしまいました・・。早く滋賀に行かなければ・・。引っ越しだろ・・!笑

 

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