
雪をかき分けて・・と言うか雪で決壊している場所を乗り越えて・・、見えてきました。
「佐々木只三郎墓」
龍馬暗殺には諸説あり、様々な「○○説」がとりだたされていますが、私は磯田道史先生の「京都見回り組説」が最も説得力がありとても自然に感じます。「見回り組説」というよりは「会津説」といった方がいいのかも知れませんが、いわゆる「黒幕」という意味では僭越ながら私はまだまだ深い闇があるように思っていて、これについては私自身もう少し更に巡りを重ねながら自身の見解を探っていきたい、と考えています。蛇足ですが私は龍馬ファンとしながらいわゆる幕府側、徳川側も興味深く巡っています。これは私ながらの「龍馬」を考える上でのひとつの想いがあり、あるいは純度の高い龍馬ファンの諸兄にはお叱りを受けるかもしれませんが、カンタンに言うと私は龍馬は「薩長」だと思っていません。当たり前だろ「土」なんだから薩でも長でもないだろう、と言われるかも知れませんが(苦笑)・・。いや、これ以上はもう少し私自身、勉強を重ねてから・・にいたします・・。
さて、龍馬暗殺の「見回り組説」はこれまでも通説ではありましたが、磯田先生が「幕末の現場を実際に歩きながら」説明してくれるところに「龍馬をゆく」を歩く私には最も親近感と説得力を感じてしまう部分ですね。また、先生はプロでありながら私達素人が持つ「好きモノ度」を感じさせてくれる節があり、そのお話に並々ならぬ幕末愛を感じるのもまた大きな魅力です。
余談ですが、今回の会津巡り中、飯盛山で派手に滑ってコケまして・・ははあ、これはきっと「薩長来たり」と天がお怒りになったかな・・と思ったんですが、骨のひとつもいってもおかしくない程のコケ方だったので、どうやら私の真意が伝わって無事に帰してもらえたようです・・・(苦笑)