あれは昨年2021年の初夏、6月だったと記憶していますが、めちゃくちゃ暑い日でした・・・。
泉涌寺まで坂を登って既にヘトヘト・・・。照り付ける日差しがもはや真夏のそれで、クラクラめまいがするくらいの暑さでした・・。
泉涌寺に着きました。が、この日は久邇宮朝彦親王の墓地と、孝明天皇の陵を訪れるのが目的でしたので、お寺の参拝はせず・・。
横目で本堂をやりすごし、更なる坂道を登ってゆきます・・・。
孝明天皇陵へ至る参道は砂利が敷かれ、砂利にヘロヘロになった脚が取られてフラフラしながら門前に至りました・・・。
着きました。
「孝明天皇陵」。
凄い構えです・・・。お墓の入口が、大名屋敷の門のようになっていて、固く閉ざされていました・・。俗物をまったく受け付けない威厳・・・。何やら、独特の空気感を感じました・・。なんと言いましょう・・まるで、音の無い世界・・・。全ての時が止ったように、降り注ぐ陽光さえもその動きを止めているように感じます・・。異様なムードが漂います・・。
孝明天皇。
言わずと知れた、幕末の天皇です。
明治維新を成し遂げたのは誰?坂本龍馬に西郷隆盛、桂小五郎ら薩長土をはじめとする西南雄藩?薩長のクーデター?いやいやいや、そんな浅い話ではありませんよね。
当時、最高の情報を持っていたのはきっと朝廷ですよね。多分、海外情勢の高度な情報を持っていたのは誰ほかならぬ、朝廷だったと私は思うのです。幕府よりも格違いの高度な情報を持っていたと思っています。
大きな政界情勢のうねりの中、グローバリズムの波に抗えない事を最も解っていたのも朝廷でしょう。地球規模の流れに抗えない以上、いかにして国を護持してゆくか、これを最も考えたのも自然、朝廷ではないでしょうか。幕府もしょせん徳川の「お家」。これまでの幕藩体制では立ち行かない以上、いかに現行システムを解体し、いかに犠牲を最小ににソフトランディング出来るか。
維新の何年も前から、幾重にも編み込まれたシナリオが作られていったと思います。後に私たちが「幕末」として認識する偉人たちは、西南雄藩も幕府も全部「登場人物」です。演者としての己の役割を認識していた人、いなかった人、様々あるかと思いますが、そんな大きく底知れぬ深いシナリオの中で、皆志を持って命がけであったことは事実だと思います。
孝明天皇は天然痘でお亡くなりになった、というのが史実とされているものです。
孝明天皇は本当に病気でお亡くなりになったのか?これには「毒殺説」が根強くあり、むしろそちらの方が主流かも知れません。
私は、病気でも毒殺でも無かったと考えています。だって、誰も天皇のお姿なんて見た事がないわけですから。取り巻きのほんの一部の者しか?実際の天皇を見たことがなかったでしょうし、その者たちから姿を隠せば、「いなくなったこと」になるのですから。下々の民においては、「お亡くなりになられた」と言われれば、それ以上でも以下でも無く、そこに「本当にご病気だったのか・・」「毒殺されたんじゃないのか・・」という疑問を持たせれば、もう結果として「お亡くなりになられた」が確定されるようなもの。疑問を持ってくれた方が都合が良く、目は「お亡くなりになった話」に行き現世から逸らせることが出来ますから。
どうでしょう、これもまた、ファンタジーでしょうか・・。
クラクラと、めまいを感じるのはこの暑さのせいだけではないのかも知れません・・。
私の幕末の旅は、まだまだ続きます
@京都2021