新幹線が停まるような大きな駅のすぐ脇にこんな立派なお城があるということ自体に興奮しました。
松平春嶽公は老中主座阿部伊勢守正弘に、「この際、烈公の意見を聞いてみたら?」と勧め、阿部は烈公に会いに行くんですね。この烈公がまた底知れぬ人物で非常に興味深くもっと色々と勉強してみたい人物でなんですが、御三家の水戸が倒幕にもってった・・?的な・・いやいや幕末の興味たるやこうした点からも尽きる事がないわけでどこまでも興味が派生していってしまいます・・・。
話が脱線しました・・。城内を見学し、阿部正弘にまつわる史料なども多数あり非常に見応えがありました。こうした場所はきまって木の饐えた匂いがあると思うのですが、特に好きな幕末の人物に纏わる場所などではその興奮も手伝って緊張感が増すものです・・。
阿部は諸大名にアメリカの国書を示して意見を徴します。幕閣が外様を含む諸大名の意見を聴取して幕政に反映させたのは幕府始まって以来のことで、非常に大きな事象でした。これを以て有力諸侯の国政関与が始まり幕府滅亡の契機になった、とする見方もあって前例を破った大きなポイントとなりました。
翌年、ペリーは再来し、日米和親条約が締結されます。阿部の安政の改革は以下。1.「御三家」で攘夷派の巨頭、水戸斉昭(烈公)を海防参与に任命し幕政に反映させた。これまで、「御三家は幕政に関与出来ない」という慣例を破った。2.親藩、諸代、外様を問わずに諸大名から旗本、庶民に至るまで広く意見を求めた。3.身分を問わず有能な人材を登用、勝海舟やジョン万次郎も登用した。4.品川台場築造。講武所、洋学所、長崎海軍伝習所開設等。
時は龍馬、桶町千葉定吉道場に入門し、剣術修行中。日米和親条約が締結された年の6月には終業を終え土佐に帰国しています。秋ごろにジョン万次郎を取り調べた河田小龍を訪ね、蒸気船の活用を学んだことからも、龍馬の中にも「黒船インパクト」が色濃く残っていたのでしょうね。
と、興奮してまくしたててしまいましたが・・こういう感じの「妄想」を抱きながら幕末を巡っているんですね、まっこと楽しいんです、私的には(苦笑)。
私はいわゆる「城マニア」ではありませんが、各地のお城を巡るといつもその石垣の美しさに感嘆します・・。なんなんでしょうね、この独特の美しさは・・。
さあ、このあとは鞆の浦を巡ります。