うめじろうのええじゃないか!

日常の 嬉しい 楽しい 幸せを

千波公園の【徳川光圀公像】@龍馬をゆく2024

本記事はアフィリエイト広告を利用しています

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

 

先日、「千波湖」に行ってみました。

やっぱ水のある風景って・・ええですね(*´ω`*)

石組みの湖岸にちょっと琵琶湖を思い出したりなんかして・・・(;´∀`)

うわっ・・なんだか鯉だか鮒だか分かりませんが・・人が通ると口パクパクさせてうじゃうじゃしてる・・・!

ガーガーちゃんもいるんですね(^^)

奈良公園の鹿じゃないですけど・・人に慣れとんのか・・・^^;?

白いでっかいガーガーちゃんもいました(^^)

白鳥のボートもありました(^^)

20分2000円・・・(・・;)

さて、今回はうめじろうの幕末巡りのアーカイブ記事です

水戸市千波湖に設置されている

徳川光圀公像】

 

写真ではちょっと伝わりにくいかと思いますが・・・

とても大きな銅像です・・!すごっ・・

やはり水戸と言えば「黄門さま」。

私たち?幕末マニアの中では光圀公と言えばテレビでやってるような「水戸黄門」なイメージでは全然ないのですが・・・

私的には「幕末維新」への下準備をしたビッグネームの一人、という認識にてヤバイ人の一人なのであります^^;!

今回は光圀公像のアーカイブ記事なのでザラッとうめじろうの「妄想コーナー」いきますよ^^;

 

最近、華頂博一さんという方がYouTubeチャンネルを展開されておられますが・・

伏見宮の方ですよね・・

伏見宮により池田家から徳川家で入れられた光圀公は・・いわば朝幕の調整役にあたっていたと言いましょうか・・

徳川家康が元和元年(1615)に定めた幕府の秘密憲法「公武法制応勅」・・・水戸藩主を代々幕府副将軍に任じ、水戸侯が幕府の悪政を認定した場合には新将軍を尾張紀州から選ぶ、両家に人物無き場合には天下の諸侯から選ぶべきことを定めていた・・・

という・・この秘密憲法・・

実は家康が定めたものじゃなくて・・伏見殿から与えられていた・・という話です・・

で、池田家ってのは楠木正成の末裔にて・・

光圀公が楠木正成を顕彰したのは先祖の名誉挽回の為で言わば当然のことであるワケです・・

ご周知、元禄5年(1692)楠公戦死の地・湊川に「楠公墓碑」を建立楠公を初めて公に顕彰した「嗚呼忠臣楠子之墓碑」を建てたワケです・・!

a-jyanaika.hatenablog.com

幕末になり会沢正志斎が国家功臣の祭祀の必要を論じ・・久留米の真木和泉守が会沢の説を継ぎ楠公ら古来の忠臣義士に贈位すべきと論じます

京都学習院で下級公家や尊攘志士らが交流し、楠公尊崇の機運が生じ高まり・・

a-jyanaika.hatenablog.com

各藩における楠公祭祀が興りますが・・その嚆矢は佐賀藩

嘉永3年(1850)楠公義祭同盟」を結成

a-jyanaika.hatenablog.com

その後一般的な「幕末」が始まるペリーが浦賀沖で黒船ドッカン騒ぎ・・!に流れていくワケですが・・

南朝正統とする水戸学が尊攘志士たちの中で「南朝復元」熱がグツグツと沸騰し・・チャンチャンバラバラ煮えくりたぎってたのが「幕末」の一面なのであります・・!

そういう意味では当時の幕末の志士たちを動かしていたとも言える水戸藩、水戸学、そしてその下地を引いていた光圀公は・・とんでもない人物であると思いませんか・・?

諸国漫遊して、カッ、カッ、カッ、な好々爺なんぞでは全然ない・・!と思うのであります・・

すぐ近くには烈公と慶喜公の銅像もあるのですが・・・

それも一緒に載せるつもりでおりましたが・・・

どうしても興奮して長くなってしまいますので^^;今回は光圀公像だけで終えることといたします・・笑

 

ご興味の無い方には・・何のこっちゃ?な話かも知れませんが^^;

幕末マニアのうめじろうはこうした幕末をずっと一人で全国を探訪して歩いていたのであります・・!

先出の華頂さんではありませんが・・まさか伏見宮の方が歴史の裏の裏までを表に出してくれる今日のような状況が訪れるなんて・・まったく予期することなど出来ずに・・!

 

ご興味おありの方はぜひ、全国各地の幕末関連スポットを実際に歩いて来た「龍馬をゆく」の項もご覧いただければ幸いです(^^)

a-jyanaika.hatenablog.com

 

夏休み催し情報コーナー

高知県立坂本龍馬記念館です(^^)

高知県立坂本龍馬記念館|高知県立坂本龍馬記念館

この夏はアツい催しが目白押しぜよ~!!

 

では、今日もお読みいただきありがとうございました

嬉しい 楽しい ワクワクがとまらない

感謝してます

PR