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いろは丸が沈む海@龍馬をゆく2013

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慶応3年(1867)4月19日、長崎を出航したいろは丸は大坂に向かっていました。夜22時過ぎ、深い霧の中備中六島海域を航海中、いろは丸は突如現れた巨影と衝突。衝突した相手は、いろは丸のざっと5倍はある紀州藩船、明光丸でした。すさまじい衝突、二度も突かれたいろは丸はついに沈没します。「相手の船に飛び乗れ!」この衝突事件は日本の近代海運史上初の事件といわれており、前例はありません。
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紀州藩船明光丸に収容された龍馬ら34名。「こうなった以上は大紀州藩を相手に大勝負をやるしかない」と龍馬は物語で決意をします。「すべての日本人は万国公法など知るまい」海事裁判という概念も知らないだろう、と、龍馬は得意の「万国公法」を以て押しまくるつもりです。ところが、あくまで長崎まで行こうとする紀州藩船の高柳に龍馬は「ご料簡がちがう!」と激昂。手前勝手なことばかり申されるな!万国公法を守らぬとあらばこの船上で諸君を撫で斬りにし私も切腹する!その覚悟で返答されよ!!明光丸はやむなく鞆へ船首を曲げ両者はひとまず鞆の浦に上陸することになるのです。紀州藩との折衝の為に数日の滞在をしました。
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昭和63年~平成元年にかけて、沈没したいろは丸の調査が行われました。その結果、いろは丸のものとみられるドアノブや古伊万里焼の茶碗等が海中から引き上げられたそうです。写真は「いろは丸展示館」のもの。この海の向こう側に今もいろは丸は沈んでいるはずです。


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