紀州藩船明光丸に収容された龍馬ら34名。「こうなった以上は大紀州藩を相手に大勝負をやるしかない」と龍馬は物語で決意をします。「すべての日本人は万国公法など知るまい」海事裁判という概念も知らないだろう、と、龍馬は得意の「万国公法」を以て押しまくるつもりです。ところが、あくまで長崎まで行こうとする紀州藩船の高柳に龍馬は「ご料簡がちがう!」と激昂。手前勝手なことばかり申されるな!万国公法を守らぬとあらばこの船上で諸君を撫で斬りにし私も切腹する!その覚悟で返答されよ!!明光丸はやむなく鞆へ船首を曲げ両者はひとまず鞆の浦に上陸することになるのです。紀州藩との折衝の為に数日の滞在をしました。
昭和63年~平成元年にかけて、沈没したいろは丸の調査が行われました。その結果、いろは丸のものとみられるドアノブや古伊万里焼の茶碗等が海中から引き上げられたそうです。写真は「いろは丸展示館」のもの。この海の向こう側に今もいろは丸は沈んでいるはずです。