いろは丸事件の「現地談判の場」となった「対潮楼」へ向かいます。
当時を偲ばせる細い坂道、石垣を縫うように昇ります。古写真を見るとこの石垣の下、今私が歩いてきた道路の所が海岸線で当時はすぐ下が海でした。
到着しました。立派なお寺さんの本堂の様相です。当時は海っ淵の岩上にあり、すぐ下には舟がつけられていました。
んんん~・・・なるほど・・・素晴らしい景観です・・。
なんと言うか、これまでの人生であまり目にしたことのないような不思議な景観・・。
「この位置からフラッシュを焚きなさい」的な場所があり、そこからその通りに移すと「対潮楼」の看板と室内が明るく写せます・・。ここを紹介している記事に必ず登場する、江戸元禄年間建立の対潮楼に立ち寄った
朝鮮通信使が「日東第一形勝」と絶賛したことで知られる、ことをここでも記しておきたいと思います(苦笑)。
そして・・、ここでも発見してしまった「あの」写真、いわゆる「フルベッキ群像写真」が飾られていました・・。「慶応元年、
上野彦馬撮影」と大きく
掲示されています・・。
対潮楼から向こう側の高台に、
紀州藩の滞在所となった
円福寺が見えました。