以前「氷の上のさかな」の記事を拝見し、こんなすごい所があったんだ・・!と驚愕しました・・(゜゜)
行ってみたい・・!そう思って行ってみたのは7月のこと。
それはそれは、凄い所でございました・・!
東海道五十三次、江戸から数えて47番目の宿場町ということで、関宿は古からの要衝であり、「古代三関」のひとつ「鈴鹿関」が置かれていたところだそうです。
江戸時代には参勤交代や、お伊勢参りの人々などで賑わったそうです。
マンホールにも旅人の絵が描かれていました(^^)
あ、志ら玉。笑
あれですね、さるぼぼさんのログに登場してたやつは(^^)
しかしながら、凄い・・・。この宿場町の旧街道をそのまま残す景観に・・圧倒される重いです・・(゜゜)
城下町の町割りをそのまま今に残す萩市の、「萩まちじゅう博物館」もえらく感動したのですが、この宿場町も「そのまんま」じゃないですか・・・!
映画村じゃないですけれども、いわゆる、再現された施設では無くリアルにそこに残っているって凄くないですか・・?現代に、こんな所が残されているなんて、歴史ファンとしてはもう驚愕の鳥肌立ちまくりの私です・・!
これは高札場跡のようです・・。
高札場を見ると思い出すのが、大学の掲示板。今の状況は知りませんが、大学の掲示板って高札場を継承していると思いませんか(^^)?
今やまさに「手に取るように」、個人の手のひらにどんな情報でもありますが、かつては情報のある場所に、自分の足で出向かねばならなかったワケですよね、当時の人からしたら、今の我々の世界はまったく異次元、理解が出来ない世界でしょう(^^)
ここが関宿有名旅篭「玉屋」ですね!
「関で泊まるなら 鶴屋か玉屋」
「まだも泊まるなら会津屋か」
と謳われたそうです。
それだけ、関宿を代表する大旅籠のひとつだったのですね・・!
この日は16時頃で、閉館まであまり時間が無かったのですが、なんとか見学する事が出来ました。
「まちなみ資料館」と共通利用出来て300円。
近所の家屋がライダーハウス?的な利用が出来るようになっているのか、道すがら、なんとなく視線を感じその方向に目をやると、ライダーらしき方が寝っ転がってくつろいでいました。なるほどねえ・・、北海道ではまあ、ざっくばらんな家屋が利用されたりしていますが、内地ではこういう所でラーダーの方が身体を休めるんですねえ・・。
さ、あまり時間がありません。玉屋を見学させていただきます。
土間の様子。冬場はめちゃくちゃ寒そうですね・・・。
宿に着くと、昔はまず足を洗う訳ですよね。この街道も未舗装なら完璧!って思うのですが^^;、まあ舗装なんてされていない当時は、外を歩けば足も埃だらけ、泥だらけだったでしょうね・・。当時スニーカーを作っていたら、恐らく天下を取っていたでしょうね~(^^)
番頭さんでしょうか。リアルなお人形さんです(^^)
こうした姿を見ると、今も昔も変わらないなあ~・・と思いますね。いますしね、フツーにこういうおじさん(^^)
よく歴史ものの映画やドラマなどを観ていると、旅籠のシーンもよく登場しますが、なるほど、それと同じですね
まあ、しかし・・昔はプライベートってやつが存在しませんよね・・^^;
障子一枚、襖一枚ですから、全て筒抜け・・笑 障子どころか、同部屋で衝立て一枚の隔てですからねえ・・^^;今風で言えばパーテーション・・笑
こういう部屋と部屋の間にある中庭も、独特なものがあります。こういうのは日本以外の国にもあるのでしょうか・・
宿の二階にも上がって見学出来るようになっていました。
これぞお膳立て。
ふと思ったのですが、いわゆる和式のテーブル、ちゃぶ台ってやつはいつ頃から登場したのでしょうね・・?大正時代とか??それより以前はどうして畳の上に直接だったんでしょうね~
布団も寒そうですねえ・・^^;
志村けんさんのコントを思い出してしまいます・・、志村さんは永遠ですね!
当時の人は、蚊や蚤には悩まされたようです・・。当時の旅のガイドブックに
「野山に多くある苦参という草を生のまま座布団の上へ置けば蚤除けになる」などと書かれている様も紹介されていました。
また、「からたちの実」を抱いて寝れば蚤が寄ってこない、とか。からたちの実ってみかんみたいな果物なんですね・・。
通り沿いの部屋。
「玉屋」のエンブレムの裏側に、外の光が透かされています
影絵の世界感ですね・・・。う~む・・エロい・・笑
二階の格子から、街道を見下ろすの図。このような目線も、当時そのものでしょうね、道路が舗装されているだけの違いにて、道行く人をこういう視界で見えていたはずです
家屋の裏手には、土蔵がありました。
そしてこの土蔵の中には、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」が展示されていました。関宿で見る広重もまた、いいですねえ~・・・
古写真なども展示されていて、歴史好きにはたまりませんね(^^)
閉館時間が迫っていたにも関わらず、意外とゆっくり堪能出来て楽しかったです(^^)ありがとうございました~
そう言えば、先日「日本人のお名前」という某番組で、関宿が取り上げられていましたね!ちょど番組の最後の方しか観れなかったのですが、いわゆる「関の山」という言葉の由来がここ、関宿だそうですね!「関の山」は関の「山車」(やま)のことだそうで、限度いっぱいいっぱい、精一杯という意味合いは、関宿の夏祭りにおいて山車を巡行して行く際、屋根瓦にぶつかりそうで両サイドがギリギリいっぱい、という所が語源になっているようです・・!へえ~~!ですよね~(^^)
滋賀に移住して、瀬田の唐橋が「急がば回れ」の発祥の地になっている事を知り、これまたえらく感動したんですが、さすがは歴史ある場所には語源になっている場所があるんだ、とまたまた勉強になりました(^^)
さて!いよいよ関宿のメイン映えポイントとして有名な?「百六里庭・眺関亭」です!
江戸から関宿が百六里あることから付けたれたネーミングだそうですが、階段を上がると関宿の家並が一望出来ました!
すげええええ~~~~~~(゜゜)!!!
よくぞそのまんま残してくれているものです!!
すげえええ~~~・・・・!
私の目線の感覚は、どうやら外国人のそれに近いみたいですので、ある意味外国人がこういう景観をみてめっちゃ感動するという気持ちがすごい解る気がします^^;!
長らく北海道に居りましたんで、道内においては道南函館で日本風の家屋を観るだけでも感動するので、内地の激烈な日本風景観には自然、心奪われてしまいます・・。
なんでも関宿の範囲は、東西追分の間約1.8km、25ヘクタールに及ぶそうじゃないですか・・・。大概こうした歴史的景観部というのは、ちょっとした区間が整備されているに過ぎないと思うのですが、現生活の場として、ちょっと覗いたくらいでは向こうまでとても見渡せない程の距離があり、それが全部残っている景観には驚愕いたします・・
町屋にしても江戸から明治時代にかけて建てられたものが、約200軒が残されているそうです・・!こうしたものを保存するって、大変な事だと思うのですが、それが見れるというのは本当に豊かな事ですね・・。
こちらが先ほど謳われていた、「鶴屋」ですね。雰囲気ありますね~。
そして関宿の町屋を公開している「関まちなみ資料館」です。
関宿の文化財の紹介や、歴史史料が展示されていました。
たとえ昼間であっても薄暗い、それがまた日本家屋の特徴でもありますよね
今回、関宿を訪れて思ったのでは、他でもありません、「我らが」草津宿のこと。
同じ東海道の宿場町であり、かつ東海道と中山道の分岐点である草津宿は、古からの交通の要衝であり現代でもそれは変わりません。
たしかに旧街道を歩きますと、非常に雰囲気があり歴史ファンとしてはワクワクするのですが・・・
この関宿を観てしまったひにゃあ・・・!!もうちょっと旧街道、宿場町を市の売りに出来ないもんかえ・・!!?と激しく思うのでした・・!!
とりあえず復元でも良いから、関宿並の宿場町を再現し、他のどこにも無いクオリティの「旧街道パーク」を作る。立木神社から草津川マンポまでをめっちゃくちゃ魅力的な歴史散策道として整備し、京都の東山界隈並の賑わいを目指す。映え映えの小物やアクセサリー店、飲食、スイーツ店を誘致し振興を図る。人力車、馬、更には駕籠も体験出来るようにし、週末には参勤交代アトラクションあり。「旧街道を歩こう」をキャッチフレーズに、綺麗なお譲さん方が着物で練りくイメージをSNS、観光サイトや雑誌で特集。全国的にも魅力を伝え、「京都に行ったら、旧街道の草津にも行っとかないとね!」な状況を生み出す。「JR草津街道切符」を発売し、その切符を利用した方には草津でお食事等割引、京都旅行のついでに気軽に草津にも足を伸ばしてもらう。
とりあえず、こんな感じでいかがでしょう?三日月知事!笑
いやほんと・・^^;、そんな風に地元に取り入れたくなるような魅力をビシビシ感じてしまいました・・!
これはなんだろう・・・?でっかい、髭そりの時にクリーム塗るやつ・・^^;?
重文の「地蔵院」。もうほんと、どこへ行っても重文、国宝だらけ・・。内地はすごいわ・・・。
てか、この仏像さまも・・・
生きてるっしょ・・・絶対・・・^^;!
雰囲気がもう・・・ハンパ無いですモン・・・^^;
丸に十の字!?
あのう・・・こちらは薩摩のお宿でしょうか・・・?
ああ・・、なんか昔は島津様とのご関係があったみたいですよ~・・
とのことでした・・。
最後にお土産屋さんで、五勝手屋羊羹と邂逅(゜゜)!!こげなところで・・!
以上、関宿のリポートでございました(^^)
今回もお付き合い、ありがとうございました~!!