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数々の幕末事件の舞台でもある【三条大橋高札場跡】@京都2022

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三条大橋の南側に建つ「弥次喜多像」。「東海道中膝栗毛」でしたかね、お伊勢参りの旅に出る二人の主人公ですね。

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この絵は実は2019年3月、滋賀に引っ越す道中、なんと滋賀の隣県が京都だということを初めて知った私は^^;、まさか京都まで電車で僅か20分程度の場所に居を構えることになるだなんて想像もつかず・・・京都じゃ!京都じゃ!と、引っ越しそっちのけで京都幕末巡りをしちゃってる「滋賀引っ越し道中膝栗毛」の図なのであります・・・笑

 

 

 

この時はまだ、仕事と暮らしというリアルな現実と、行楽を完全に混同しちゃってましたね・・・^^;

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鴨川に架かる三条大橋は、いつも観光客で賑わうスポットですね。

その三条大橋のスタバがある場所、そこがかつての「三条高札場」跡なのであります。

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2019年から早、3年の月日が経ちまして(早っ・・)、時は2022年改めて三条大橋の高札場跡を見学いたしました。

高札場とは幕府が決めた法度や掟書きなどを木の板に書き、人目を引くように高く掲げる場です。

絵図は文化二年に三条大橋西詰の御高札場に掲げられていた高札です

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こんな感じだったのでしょうね・・。

これは関宿に復元されている高札場です。

高札場を見ていつも連想してしまうのが、大学の「掲示板」です・・^^;エントランスに入ったロビーに、ガラス張りの掲示板があって、いつもそれをチェックしたものでした・・。時代は変わり、今ではそういうのは無くなっているのでしょうか・・?今でもあるのかな・・・??

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板に書かれた掟書はこんな感じで、これは関ヶ原の歴史民俗学習館に展示されていた高札です。

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慶応四年の太政官によるものですね。キリスト教を禁ずるお触書。

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幕末ファンにとって三条大橋と言ってすぐに思い浮かべてしまうのが、土佐藩士と新撰組との乱闘ですが、それこそ高札場に掲げられていた「長州人をかくまうべからず」という制札を土佐藩士が引き抜こうとしたもので、それを待ち伏せしていた新撰組と乱闘になった騒ぎです。

文久三年の「足利将軍木像梟首事件」における足利将軍の木像の首を晒したり、近藤勇が捕えられて跡討ち首となり、塩漬けされた近藤の首が晒されたり、三条大橋付近の河原は首晒しも多く、高札場として人々の目に触れる機会の多い場所、ということもあったのではないでしょうか・・・。

地味な場所かも知れませんが・・・幕末の舞台としては非常に大きな場所だと思える、三条大橋高札場跡でした。