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若狭鯖街道【熊川宿】歴史とリアルな現代の暮らしが共存している素晴らしさ

こんばんわー

昨日はJR京都線・・夕方から止ってましたね・・・(-_-;)

せっかく早く帰れる日だったのに・・おかげさまで結局いつもより帰宅が遅くなりました・・・(-"-)

さて、

まだ暑かった頃、鯖街道は【熊川宿】を散策した時の記録です(^^)

道の駅に「鯖街道ミュージアム」がありましてね、これがまた小ぶりながらも見応えがあり、しかも無料という嬉しい施設なのであります(^^)

 

 

 

 

鯖街道の歴史がマンガで紹介されているのでとても親しみやすく分かり易い(^^)

いやー、面白いですねー(^^)

こういうの大好きですので、ずっと居られます。笑

おっ・・!出町柳の「出町橋」、「鯖街道口」も描かれてる!

こういうちょっとした所に、自身の街歩きがリンクするとえもいわれぬ感動を覚えるんですよねー(^^)私だけ??笑

鯖街道】とはご周知、若狭から京の都へ魚介類を運んだ街道ですが、その主たる海産物が鯖であったことから「鯖街道」と呼ばれています。

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「京は遠ても十八里」・・言うても・・・・

丸一日掛けて徒歩で鯖を運ぶとか・・・現代の私たちにはまったくもって・・信じられないですよね・・^^;!

冷凍技術なんて無い時代に、日本海で獲れた鯖を塩でしめて運んだそうですが・・

京の都に着く頃にはちょうどいい塩加減になっていたとか・・^^;

て、ゆーかほんまに一日で歩けるのか・・?(←一日10km歩いたら次の日寝込むヘタレ・・^^;)

と、思ってグーグルマップで調べてみると・・・

 

ほんまや・・・(゜゜)

交通機関を「徒歩」にすると何故かルートが367号を避けて琵琶湖湖畔に行っちゃうんですが・・まあそっちに遠回りしたとしても約20時間・・・367経由で概ね75kmの道のりです・・。す・・すげ~~・・・*1

まあ、それこそ・・江戸時代なんかには江戸城まで氷を運んだとか、温泉を運んで将軍に献上したとか・・・そもそも江戸城の石垣?の石を各地から運んだんでしょう・・・(・・;)

そんなものから比べればまだ小さくて、カタチあって崩れたりこぼれたりしない分、楽だったんでしょうかねえ・・^^;

そりゃあ腹も壊すわな・・・苦笑

と、いうことで【熊川宿】。

浅野長政天正17年(1589)、熊川が交通と軍事の要衝であることから宿場町としました。それまで僅か40戸程の寒村が、以来200戸を越える宿場町へとなったそうです。

ぬおあっ・・・

なんかおる・・・!!

あ・・番所の役人ですね・・・^^;

しかしリアルな人形ですねえ・・・

こういうおじさん、現代にもよくいますよね・・・笑

ほとんど人がいない場所にいきなりこうしたリアルなフィギアがあると・・ドキィ!としますね・・・!

若狭と近江の「国境」の番所

ここにも「国境食堂」出してくれたら嬉しいのに。笑

約1km程?に渡って、当時の宿場町の街道が保存されていました(^^)

いや~・・・ほんまに・・関宿とかもびっくらこきましたけれども・・・マジで上方の歴史はハンパ無いというか・・・もうどこへ行っても歴史が凄くて飽きる事がありません・・

というか・・歴史が広く深く広大過ぎて把握するのに頭がついていけません・・・(~_~;)

すっげー雰囲気・・ですねー・・・。

と、思ったら「旧逸見勘兵衛家住宅」とのことで、なんでも、伊藤忠商事二代目社長・伊藤竹之助翁の生家だそうです・・・。

コンクリが打ってなかったら、より一層の当時の雰囲気があったんだろうなあ・・とも思いつつ・・

一方ではこうした道幅から当時の街道の広さを想像するに・・・

例えば江戸時代の河原町通りの道幅とかを想像し・・・龍馬暗殺時の近江屋の前の道の雰囲気なんかも妄想出来るのであります

歴史を100倍楽しむには「妄想力」が肝要ですね。笑

うおおっ・・なんや・・おもむろにデカイ岩の露頭が・・・!!

大岩(子守り岩)と呼ばれているそうですが、この岩でよく子どもたちが遊ぶそうですが、怪我をしたことが無いそうです・・・。不思議ですねー・・。

こんなブラタモ的楽しみも、熊川宿にはあります^^;

「菱屋」。旧問屋だそうです。

雰囲気ありますね~・・・

結構な勢いで水が流れていました・・

こうした水道も、非常に和の歴史を感じさせてくれます

おおっ・・!なんやすごい建物が出てきましたよー

これはちょっと大正浪漫って感じですかね。

明治・大正な雰囲気になってくると、元道民にも珍しくはありません(^^)

昭和15年に村役場として建てられたものだそうです。

現在では「歴史資料館」となっています。

9:00~17:00

入館料:高校生以上200円

庭先に昔ながらのポンプ?井戸があり、おじさんが得意げにシュポシュポやって水を出していたので、

なんや悔しくて・・笑、私もシュポシュポやりました!

じょじょじょじょ~~~~

「御蔵道」。

この先が「北川」。川から運んだ米を、この道を通って松木神社境内の蔵屋敷に運んだそうです。それがこの名の由来とのこと。

で、その松木神社の御祭神「松木庄左衛門」。

かつて小浜藩による重税に苦しめられていた農民を救うべく、身を賭して減税を藩に訴え実に十数年の陳情の末、ついに税の軽減を勝ち取ったそうです。

 

 

 

しかし当時は農民が幕府や藩に陳情することはご法度だった為、庄左衛門は直後に捉えられ、磔の刑により28歳という若さで生涯を終えました・・・。

28歳で亡くなられ・・十数年に渡る陳情って・・・一体何歳から藩に陳情をしてたんだ・・?とも思いますが・・・いずれにせよ己の命を賭して多くの農民を救ったとして「義民」として祀られていました。

ですが皮肉というか・・

そもそもこの松木神社の境内の奥が先ほど述べましたように、藩の米、年貢を貯蔵していた蔵屋敷であり・・まあ・・そこを象徴する人物だというのは解るのですが・・なんだかちょっと複雑な想いもいたしました・・・。

松木神社の並びには「得法寺」があり、今度はこちらは元亀元年(1570)に織田信長が秀吉や家康を従え、越前の朝倉を攻めに行った時、ここに徳川家康が泊まったと伝えられているようです。

その時に家康が境内の松に腰をかけた、といわれており「家康腰掛けの松」と呼ばれていました。

ちなみに、その時の松は虫に侵され2000年に伐採されたということで・・・現在は新たに植樹すると共に根元の部分だけ保存されているようです・・・笑

いやー・・・しかし本当に・・至る所に歴史があり、そしてそれがやれ織田信長がどうさとか、秀吉が家康が・・・といちいちメジャー過ぎる・・・^^;

道内で歴史散策を楽しんでいた頃は、それこそ無名な人物を知るような要素が強かったので・・こちらでは教科書に載っているような出来ごとや人物だらけの「歴史」にいつも驚愕するばかりです・・・!

今回、熊川宿で私が驚いたことのひとつが、

フツーに今の地元の方の暮らしがトラディショナルゾーンに共存している、という事でした・・!これは、関宿にも通ずることかな。

今申し上げたように教科書に載ってるような人物や、出来事が「保存」されている場所に、現在進行形のリアルな生活も共存していて、歴史と暮らしが当たり前に溶け込んでいることです。

こうしたところに歴史とか、守っていく、継承していく、文化とか、人文科学の本質が表れているような気がして大変感銘を受けるんですよね。

今回もよき時間を過ごさせていただきました(^^)

あんまし人もいないし^^;・・・ゆったりといろいろ心で見つめながら散策出来た気がします!

楽しかった~!

えっ・・・!

街道にあったタバコの自販機。

今日び・・セブンスターって600円も・・すんの・・(◎o◎)驚!!

ぎょへええ~~~

ちなみに私は2009年7月5日以来、きっぱり止めてます!エヘンプイ

今回もお付き合い、ありがとうございました(^^)

@2022福井

 

 

*1:+_+