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柏原宿【伊吹のもぐさ】亀屋左京|司馬遼太郎をゆく@2022滋賀

こんばんわ、由緒正しきおっさんの休日の過ごし方「司馬遼太郎をゆく」です。

先日の「寝物語の里」から旧中山道を辿ると、柏原宿がありました。

中山道沿いには鉄道が走り、ちょうど過ぎ去ってゆきました。

今回は「伊吹のもぐさ」柏原宿をゆきます。

柏原の宿場は、伊吹山の南麓にある。

伊吹山は、胆吹山とも書く。古語で呼吸のことを息吹という。伊吹山は、たえず風や雲を息吹いている。古代人の山岳信仰では、山からおろしてくる風は神の息吹であるとしていた。山は、標高1377メートルである。近江第一に高山で、古代のひとびとがこの山をたえず息吹いている精霊とみただけでなく、ふしぎに薬草が多く、いかにも奇すしき山とみていた。

 

 

 

なかでも、灸のもぐさが代表的である。

効能の高い灸には息吹もぐさが使われねばならないとされてきたが、その原料であるよもぎは、伊吹山の八合目あたりに自生しているものがもっともいいという。

なるほど、古来、伊吹山は「神が息をする場所」にて薬草も神がかっていた、ということですね。

風が山にぶつかり、吹き下ろすことから積雪も多いんですね。「街道をゆく」を読んで改めてその事を実感させられます。

江戸期に、この中山道の宿場で、街道に面してもぐさ屋が十数軒もあり、明治後は一軒きりになってしまったが、江戸期はどの店も繁昌していた。中山道を往来する旅人は、伊吹山の南麓の柏原宿場に入ると、たいていはもぐさを買う。とくに参勤交代のための大名行列がこの宿場に泊まったりすると、ひとびとはあらそって江戸や国もとのみやげに袋入りのもぐさを買った。おもしろいことに、どのもぐさ屋も「亀屋」という屋号を名乗っていた。鶴は千年、亀は万年という、その亀のイメージで薬効を象徴させていたのである。おかしさは、おそろいで「亀屋」だったということで、このことは近江商人がたがいに足をひっぱりあわないという気風とかかわりがあると見てよい。

なるほどー、この宿場は今で言えばドラッグストアが軒を並べていて、言うなれば「薬局通り」な場所だったんですね。

土産品としてもぐさを買って「伊吹山のもぐさだぞ」と、国もとでありがたがらせたのかもしれないですね。

どの店も、「亀屋」というのも面白い。

「鶴は千年、亀は万年」といえば我らが道民には「ツルハドラッグ」(^^)!もしかしたら近江商人の系譜があるのかも知れませんね!くすりのツルハプレゼンツ、STVラジオは「花タバタ」は今でもやっているんでしょうか・・?笑

さて、ここに、「松浦七兵衛」(亀屋左京)という人がいたそうです。

彼は独身時代、1758~というから松平定信の頃、そう、私たち「風雲児たち」ファンにとっては「定信ちゃん」の時代です、その頃江戸に商いに出ました。

行商をし、がっつり儲けると吉原へ行き散財したといいます。

そこで、歌を流行らせる

「江州柏原 伊吹山のふもと 亀屋左京のきりもぐさ」

という、このCMソングが大いにに流行りました。

当時の花街は流行の源泉のような機能を持つ場所だったようで、これを聞いた龍馬ファンは皆同じ連想をすることでしょう。

そう、龍馬が長崎丸山で広めたという「船を沈めたその償いは 金をとらずに国をとる」ですね。

こうした「CMソング」や「伊吹山」という薬効の高さをイメージする言葉を巧みに使った売りことば等で、左京はもぐさを大いに売り、やがて千金を得たそうです。

故郷にもどった亀屋左京は、53カ所もの田畑を買入れて大地主になりました。

長者になってから嫁ももらったそうです。

そんな「亀屋左京」、七兵衛さんのお店がまだのこっているはずですよ、と編集者に言われた司馬先生はここを訪れます。

亀屋左京家は、そのままのこっていた。

「伊吹堂」と重厚に作られた古風な看板。

文字といい、作りといい、色といい、日本に現存する古看板のなかでも有数のものといっていい。軒下にながいのれんがかかっていて「伊吹艾本家亀屋左京」と染めだされている。

と、司馬先生は書かれていますが、私がこの日見た家には暖簾は掛かっておりませんでした。しかし、重厚なる古看板は、ある。

軒先には木の看板で、「艾屋 亀屋 七兵衛左京」と掲げてありました。

そしてこの、亀屋左京の店のむかしが、「東海道五十三次」で高名なかの歌川(安藤)広重に見ることが出来るというのです・・!!

それが、こちら「木曽海道六十九次」の柏原

ほんまや・・・(゜゜)!!

「柏原」の絵は、亀屋左京のお店が画面いっぱいに描かれており、ほぼそれだけで構成されています・・!

柏原と言えば艾、亀屋と言えば左京、といった存在の大きさが伝わってきますね・・。

向かって左側に、お庭が描かれていますが、なるほど・・中は見えませんがそのような様子が見てとれます!

これがまた、七兵衛が独創した「休憩所」らしく、旅人たちを無料で庭見物をしながらの休憩をさせ、休憩をした以上はもぐさを買って帰らないわけにはいかなくさせる戦略であったようなのです・・。

特に大名などには酒を出し休憩させる亭も庭に作ったといい、大名たるやもぐさを買わずに立ち去れるものではなく、さらには大名たるやそのメンツにかけて大量に買わざるを得ないという・・いやはや・・商魂とやらは今も昔も変わらないものでございます・・・。

店先には駕籠が二組。旅人がもぐさを買っているのを待っているのでしょう。今なら土産屋の前で待つタクシーですよね。

こうした景色も、アスファルトの舗装を剥がせば、当時の江戸人らが目にしていた風景とほぼ一緒でしょう。

いや~、面白い。

毎回思うことですが、カメラも写真も無かった時代、こうした絵がまさに貴重な当時の様子を記録したものですよね。もちろん、絵だけに好きに書ける、という面もあるかも知れませんが、逆に寸分違わずに記録するんだ、という職人気質があったかも知れず、そういう意味でも非常に貴重な史料だと思います。

と、いうことで、今回の「司馬遼太郎をゆく」は「伊吹のもぐさ」を訪れました。

いや~、面白いですね!(私だけ・・?笑)

司馬先生の随筆は、ほんとに先生と一緒に歩いているような、お話を聞きながら見学しているような気分になれて、めっちゃワクワクするんですよね・・!

博物館等で「解説」を聴きながら見学するにはお金が掛かりますが、「司馬遼太郎」を読んで妄想で見学する分にはタダです・・^^;笑

司馬遼太郎をゆく」止められません・・!私にとっての最高に楽しいアクティビティ、これこそが、おっさんの由緒正しき休日の過ごし方であります・・!笑

ほど近くに、「柏原宿歴史館」がありました。

この日は時間の兼ね合いもあり入りませんでしたが、「司馬遼太郎をゆく」だけでもう、お腹いっぱいです・・笑

@2022滋賀

 

司馬遼太郎街道をゆく24」近江散歩・奈良散歩