うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

イノシシをエアーで撫でて願いを【綿向神社】@滋賀2022

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こんばんわー

おっさんの由緒正しい休日の楽しみ方、「司馬遼太郎をゆく」です。笑

今回は滋賀県蒲生郡日野町の綿向神社を訪れました(^^)

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1980年当時、司馬先生は正月を京都で過ごすのが恒例になっていたようで、『街道をゆく』の「近江の人」の項に

京都に宿をとって、近江に出かける。

中毒のようだった。

 

と書かれています。

とある亥年の正月に、にわかに近江の蒲生郡が見たくなった、ということで、綿向神社を訪れる場面があります。

 

 

 

私は突然耳が聴こえなくなってしまったので・・もはや神頼み・・というところから^^;休日に散歩がてらお参りに行ってみた、といったところです・・・苦笑

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予備知識ももたずにその町に入ると。大正時代にまぎれこんだような家並だった

というより、京の中京区を移したようでもある

どの家も木口がよく、街路は閑寂ながら整然としていて、しかもよけいな看板などはなく、品のいい町だった

 

と、あるように、まさにそう表現される通りの町並で、今の暮らしが古の町並に溶けん込んでいるようで時空を超えた感覚を得るというか、閑寂なのがまた、非常にいいんですね(^^)

ちょっと郵便局に用事があったので、トラディッショナルゾーンにある郵便局に寄ったのですが、これがまた、青い瓦屋根の家屋にて非常に趣のある郵便局でした。

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やがて家並にあいだに、大きな鳥居があった

くぐると、境内の結構や社殿がふしぎなほどに品がよかった

 

司馬先生は鳥居の向こう側に雪を頂く綿向山に着目し、その神々しさを書かれているのですが、たしかに、ブルーメの丘の背中側に山頂に雪をたたえる綿向山の神々しさは誰もが感じるものじゃないかと思いました。

私は平地からどーん!とそびえ立つ山の景観がとても好きでして、北海道旭川在住時は大雪山、札幌時代は手稲山、函館時代は臥牛山(函館山)、そして秋田時代は太平山から享けるものがあったように思います。何かにつけて、暮らしの中での事をその山に向かって心でしゃべる、みたいなところがあるんですよね、これ即ち、自然の神への信仰というものでありましょう。

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たしかに・・・もの凄い雰囲気のある神社です・・・。

御由緒は、綿向山の頂上に神武天皇出雲開拓の祖神?を迎え祀り祠をたてたのがはじまりだそうです。

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鎌倉から安土桃山時代の領主であった蒲生氏一族が氏神として尊び庇護してきた綿向神社は、江戸時代には近江商人の巨万の財力で支えられてきたそうです。

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日野町は織豊時代蒲生賢秀・氏郷の古い城下町で、蒲生氏は鎌倉時代からの地頭であったそうですが、百姓・商人をよく保護した大名だったようですね。

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その為、氏郷が伊勢松坂に移封されてからも日野商人たちは後を慕って松阪に移ったそうです。このことが、伊勢における商業をさかんにした、と司馬先生は書かれていますが、近江商人の保護をし拡大させていった蒲生氏は知将だったと言えるのではないでしょうか。

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本殿脇にはこのような絵も掲げられており、滋賀県指定有形民俗文化財「祭礼渡御図絵馬」ということです。

こういうものが何気なくフツーに掲げられているのがすごいと思うんですが・・。

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本殿の周囲には回廊がめぐらされており、なんだか法隆寺を連想してしまいました・・。

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こんなものもありまして・・・。

しかし・・、昨今のアイツの影響にて、「エアータッチでお願いします」の張り紙が・・^^;

エアーでイノシシ様の耳に触れ、お祈りさせていただきました・・・。

完全に音を失わないでいさせてくださって・・心より感謝申し上げます・・・!

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こういうのも珍しいですね・・!

「最も神様に近い場所」として、「裏参り」と書かれていました・・。こういうのは初めて見ました・・。

合掌ー

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綿向神社の「お使い」とされているイノシシ。

社伝によると、欽明天皇6年(545)蒲生氏が綿向山麓に狩りに出ていた折、四月というのに急に吹雪に見舞われ暫く岩陰で休んでいました。

そのうち雪が止み、外へ出てみるとそれまで見た事も無い大きな猪の足跡が雪にあり、その足跡を夢中で追っているうちにやがて山頂に導かれ、神の化身として現れた老人に「この山の頂に祠をたてて祀るように」と言われ、社殿を立てて祀ったのだそうです。

その御宮が「大嵩神社」であり、綿向神社の奥宮として20年に一度、式年遷宮を行い社殿を造り替えお祀りしているそうです・・!

こうした由来の「イノシシ」なんですね。

しかしまあ・・・欽明6年とか・・・・。歴史が深すぎる・・・^^;!

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参拝を終え、帰路につこうとしたところ・・ロープに囲まれた一角に何やら人工物の石材が置かれていました・・・なんの説明も無かったので不明でありましたが・・一体これは何の遺構なんでしょうか・・?

・・・!ん?

ってか、その後ろに・・・(゜.゜)!

なんか、像が・・・ある・・!

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げっ・・!!なにこれ・・・!??

苔むした像・・・。

なにやら左の人物に拝している様子・・・

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これには説明書きがありました・・!

楠木正成公と其の子正行 桜井の別れ之像」!?

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この像は、楠木正成湊川の合戦に向かう前、息子の正行との桜井の駅での別れのシーンだそうです・・。

楠木正成湊川で戦死し、時代は足利室町幕府へ・・。

幕末ファンとしては思いがけない場所で、ヤバい像と出会ってしまいました・・・!

なんでまた・・・こんな所に・・・!

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説明書きによると、以前は日野小学校の校庭に置かれていたそうなのですが、敗戦後アメリカによる統治下にてこれまでの忠義を重んじる教育が否定され、行き場を無くした像が綿向神社の境内に移されたそうです。

我が国の精神文化を伝える貴重な歴史資料です、と書かれていました。

いやー・・・思いがけなくこんな所で・・・

楠木正成に関する像に出会うなんて・・思いもしませんでしたね・・・!

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やはり近畿の歴史はハンパ無いですね・・・。

ほんとにもう・・どこへ行っても、どこを見てもドデカイ歴史がゴロゴロしている・・・。飽きが来ないどころが、まったくもって学習が追い付きません・・・^^;!

と、いうことで、今回の「司馬遼太郎をゆく」は日野町、綿向神社でした。

今回もお付き合い、ありがとうございました(^^)

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@滋賀2022