皆さまも京都観光、嵐山観光で訪れた方も多いのではないでしょうか?
時は昨年(2022年)3月・・・^^;
ちょうど一年前に訪れた時の記録です・・。
と、いうのもちょうどこの時にですね・・・天龍寺を散策している最中に急に耳に異変を感じまして・・・突然に方耳が聴こえ無くなってしまったんです・・・。
そう・・、突発性難聴に・・文字通り突発して罹ってしまいました・・・(-_-;)
それ以来・・なんとなくそこに触れるのを避けたい気分があったんでしょうかね・・・
伸び伸びになってようやく丸一年ぶりにUPするに至りました^^;
嵐山と言えば有名な「渡月橋」ですが・・・私は実はこの時初めて行きました^^;
2019年に京滋に移住してすぐに嵐山を訪れてはいるんですが・・目的は「天龍寺」「弘源寺」そして嵯峨野の「土佐四天王像」だったので・・一般的な観光スポットには目もくれず・・だったんですよね・・^^;笑
時は「コロナ前」。
天龍寺の庫裏の前には外国人観光客をはじめ人がわんさかごっさりでして・・・
超絶人ごみが苦手な私は天龍寺の中は見学せず、すぐに踵を返して「弘源寺」に向かったという・・^^;
ご周知、天龍寺は幕末の「禁門の変」時に長州藩の陣営になっていました。
前回訪れた時は「幕末巡り」で来たのですが・・今回は純然たる観光です^^;
嵐山は「蚕ノ社」の項でも触れましたが、かつて秦氏が造った古代遺跡の上に立つという話がありましたよね・・。
6世紀中頃、なんと約19万人もいたという秦氏。その土木技術で造ったという葛野大堰などは当時画期的な工事で、暴れ川をゆるく流し下流の土地を住みやすくしたと言われています。
そんな嵐山の大部分がかつての「天龍寺」の境内だったというから驚きです・・!
桂川界隈の多くがかつての天龍寺の境内だったということで、創建当時はなんとその規模は30万坪?もあったそうです・・!
さっそく天龍寺の見学をしてみましょう(^^)
庫裏で参拝受付を済ますと、どーん!とお出迎えしてくれるのが「達磨図」。
こちらはインドの僧侶らしく、禅僧の初祖といわれるお方なんだそうです。
こちらがおられるということは、禅寺の証ですね(^^)
大方丈へと歩を進めると・・・
おおおお~~~~
早速、天龍寺観光の代名詞とも言える庭園がその姿を現しました・・!
うわ・・すっげ~~~・・・・(゜゜)
めっちゃ池が鏡にようになって、木や石が映り込んでるやん・・・!
【曹源地庭園】
なるほど~~
これが観光スポットたる所以のお庭ですか・・・納得です~・・・!
こりゃあ確かにすごい庭園ですね~・・・
しばしぼやっとしてしまいます・・・(゜゜)
大方丈はめちゃ広いです・・!
なるほど長州藩の陣営としての機能性もあったことがうかがえるというものですね
襖には龍の絵が描かれていまして・・ガラスで覆われているのかお庭の様子が反射して映っていました・・・
室内から見る庭園もまたイイですね~~
いや~・・・いやらしいまでの美しさです^^;!笑
【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!
この時は何やら「特別展示」の催しもされているようでした
めちゃめちゃデカい・・大迫力の雲龍図です・・・。
大方丈、英語記載は「Main Hall」。
なるほどの広さです(^^)
外に出て、お庭をぐるりと歩きます。
曹源地庭園を前にして、観光客の方の多くが長椅子に腰かけてお庭を観賞していました
コロナ前はさぞかし観光客でごった返していたんでしょうね・・・
図らずもこういう静やかな姿を拝観できるに至ったことは・・・
ある意味ありがたく考えるのが前向きというものでしょうか・・^^;
書院の床の間にも「達磨図」が掛けられていました。
なんか自分の内面を見られているような気になり・・不思議ですね・・・。
さて「多宝殿」の方へ進んで行きます
なんや小川がせせらいでいたりして・・・めっちゃ綺麗・・。
ちなみにここを歩いている時に・・耳に違和感を覚えまして・・・
あれ・・・?何やら耳に水でも入った時のようなゴロゴロした感覚になり・・・
ガザゴソ耳の中で音がしている感じでノイズがウルサイ・・といった感じ・・
あれ・・なんか変だな・・ちょっと自分・・調子悪いんだろうか・・といった感じでした・・。
その後帰りの地下鉄では車両が走る音の反響がめっちゃうるさく響き・・帰宅した頃には方耳が詰まってしまった感覚でまったく聴こえ無くなってしまっていました・・・。
そんな思い出の場所です・・・(-_-;)
多宝殿の前には桜が咲いていました・・!
お堂の中には後醍醐天皇の像が祀られており・・なんとも言えないオーラを醸し出しておりました・・・
足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為に建てたお寺、ということで以来680年続いています。
後醍醐天皇と言えば鎌倉幕府の転覆をはかり腹心の楠木正成が吉野に兵を挙げるんですよね・・?
これに同調した足利尊氏も幕府に反旗を翻すんでしょうが、足利はそもそも北朝系じゃないの・・?と不思議に思うんですが・・
どうやらこの辺りにこそ・・南北朝の深い部分がありそうですね・・・。
吉野の桜が問い掛けているようです・・・。
とりあえず幕末には、南朝革命の拠点として長州が後醍醐天皇の拠点を陣営にしたのは分かり易いです。
つまり歴史は歴史を参考にし、意味を紐付け展開していくことを思うとルーツが解明されていくように感じるのですが・・・
そうかと思えばそう簡単なもんじゃないんだよ・・歴史の裏書きは・・・!といったところがまたゾクゾクするほど面白くて興味が尽きないミステリーなんですよね・・!
国の特別名勝の庭園も素晴らしいですが、その歴史的背景に想いを致しながら歩かれると寄り一層、重層的な面白みが溢れてくるようでした・・!
個人的にはいささか・・辛い思い出の地にもなっちゃいましたが・・^^;
それはそれとして大変有意義なひとときを享受出来たと思っております。
皆さまの観光にご参考になれば幸いです(^^)
お付き合い、ありがとうございました。
@京都2022