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新羅の王子が技術集団を連れて来朝し集落を形成した【源義経元服の地】と【鏡神社】@滋賀2023

滋賀県蒲生郡竜王町「鏡」という土地があります

ここはかの源義経が「元服した地」として伝わっており、その際にここに宿泊したという石碑が建っていました。

今は住宅地の一角が小さな空き地(公園?)になっていて、そこになかなか立派な碑が建立されておりました。

 

 

 

目の前は現在の国道8号線、旧中山道が今の国道より西側に通っていたと思うのですが、この辺りでは今の国道と被っているのでしょうか・・・

義経宿泊の館跡」碑が建つ空き地に隣接するように、かつての本陣跡等の立て札が並んでいました。

ここはかつて沢弥伝という長者の屋敷があった場所だそうで、「駅長」(うまやのおさ)とも呼ばれていた沢の屋敷は「白木屋」という名であったそうです。

そう聞いて現代人としては居酒屋を連想せずにはいられませんね・・^^;

江戸時代になって「中山道」になったのでしょうか・・このあたりはよく知らないので街道にお詳しい方おられましたらご教授願いたいところでございます・・。

そして旅篭。これも江戸時代のことのようです。

平安時代とかからすると、江戸時代なんて「つい最近」に感じてしまいます^^;

ここで一旦、源義経についておさらいしておきましょう。

義経は幼名「牛若丸」と言って京都の鞍馬寺に預けられました。

a-jyanaika.com

鞍馬天狗に武芸を教わった牛若丸は剣術の免許皆伝を受け、奥州平泉へと出発します。

その夜に牛若丸は近江の鏡の宿に入り、前出の沢弥伝の家に泊まったとされているようです。

義経鞍馬天狗から免許皆伝を受ける場面を描いたという「牛若丸天狗図絵馬」が鞍馬寺の霊宝殿に展示されていましたが、こうした関連と合わせて見学するとより面白いものです。

鞍馬寺の「奥の院」には「義経堂」も祀られていますから、ご興味のある方はぜひ、京都の鞍馬寺だけでなく近江の鏡の里にも訪れてみていただきたいと思います(^^)

そしてこの地で牛若丸は、髪を落とし烏帽子を着けて元服したと言われています。

写真は「烏帽子かけの松」。

ここでたった一人で元服した後義経は、鏡神社に参拝する際にここに烏帽子をかけたと伝わっています。この松は明治6年に台風で倒れてしまったようで、2~3mくらいの株だけが残り祀られていました。

烏帽子親もなくたった一人で元服したという義経は、かつて源氏の祖先は八幡大菩薩新羅明神の前で元服したということにならい、鞍馬寺毘沙門天八幡神を烏帽子親にしようと、太刀と脇差をその両者に見立て自ら元服式を行ったんだそうです。

その、「八幡神社」が鏡神社の脇に祀られており・・・

鏡神社がそもそも主祭神アメノヒボコノミコト」であり、日本書紀によるとアメノヒボコノミコトは新羅国の王子にして垂仁天皇の頃に来朝し近江国で集落を形成した、と

神社の由緒に説明されておりました・・・・!

鏡神社の由緒書きを読んで一気に興奮が駈け上って来てしまった私ですが・・・^^;

アメノヒボコノミコトは持参した神宝の日鏡をこの地に納めたことから、「鏡」の地名が生まれたそうです・・。

なるほど鏡山周辺には古墳もたくさん点在していますし・・・例の野洲の銅鐸も鏡山の麓といえば麓か・・!

多くの技術集団を引き連れてやって来たと説明書きにあるアメノヒボコノミコトですが、その技術集団の中に「鋳物師」との記載もありました・・。

これはもう、日本最大の銅鐸の出所がここに書いてあるじゃん・・!と思うのは私だけでしょうか・・・!

う~む・・・これはヤバいニオイがプンプンしてきちゃいましたね~・・・!!

そう思って見るせいか・・鏡神社の本殿もすごい雰囲気・・オーラを感じました・・・。

有名観光スポットの神社のように人出があるわけでもなく・・・というより私以外誰ひとりいないのですが・・もの凄い立派に管理されている神社だと思いました・・

誰ひとりいないんですけどね・・・

何故か大勢の人の目が私に注がれているような気分になるのも不思議な感覚でありました・・・。

第11代の「垂仁天皇」の名が出ちゃってましたからね・・・

私の妄想歴史ワールドが脳内で弾けるというものです・・!

第10代が崇紳天皇「ミマキイリヒコイニエ」・・任那(ミマナ)・・・城(キ)・・・入り・・彦・・・

数々の技術集団・・・馬具・・

そんな「アラウンド崇神」の頃に渡来したアメノヒボコノミコトと技術集団

んんん~・・・・もうひとつ・・もうひとつ繋がりそうでハッキリピントが合わない・・!

そもそも義経は何故この地で元服したのか・・と疑問に思うところでありますが・・

一説によると鞍馬より平家の追手が稚児姿の牛若丸を追って探している・・という噂を聞きくに及んで、つまるところ逃走中の「変装」といった面もあったみたいですね・・。

いわゆる「義経伝説」と、それからこの国の隠された歴史みたいなものが表裏一体となって各地にその痕跡を残しているのかと思うと非常に鳥肌モンの興奮を覚えてしまいます・・。

国道8号線を車で走行すると、一瞬で通り越してしまう【鏡神社】【義経元服の地】ですが、ちょっと車を停めて散策してみるとその面白さに気が付くように思います(^^)

いやー・・・面白いですね!!(私だけ・・?^^;)

歴史散策はその一カ所だけではまるでジグソーパズルの一片のようで何がなんだか解りませんが・・ひとつひつとのピースを集め繋いでいったら・・

やがてそれを俯瞰して見たときに、とんでもない真実が見えてくるような気がしてなりません・・!

そうしたワクワクが、歴史散策にはあるように思えてやればやる程ハマってゆく、そんな気がいたします!

今回もお付き合い、ありがとうございました~