2020年10月、よみうり文化センターの講座「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」に参加いたしました(^^)
その9「興正寺」
堀川通りを北に歩き、興正寺にやって参りました。改修工事中の様子で、足場に囲まれていました。
興正寺は禁門の変時、幕府軍に敗れ敗走する長州の金剛隊を匿った寺だそうです。
以下は今回の講座の内容ではありませんが、興正寺に逃げ込んだ長州兵を僧侶の姿にして醍醐三宝院へ落ちのびさせました。しかし、この事が新撰組に知れ醍醐で捕えられた金剛隊は、六角獄舎に投獄されたといいます。
再び講座に戻ります。興正寺は、新撰組が不動堂村に屯所を移転する際、350両をねだられたそうで、結果的に新撰組は、興正寺から200両を借りたそうです。
そして、紀州藩士・徳川茂承が宿泊。近藤勇を呼び、紀州藩士・三浦休太郎の護衛を依頼しました。
三浦休太郎と言えばそう、「天満屋事件」ですよね。「いろは丸事件」で、龍馬に莫大な賠償金を取られた紀州藩が、その恨みから龍馬を暗殺したと見た陸奥宗光ら海援隊が、酒宴中の天満屋を襲撃した事件です。しかし三浦には新撰組が護衛についていた為、難を逃れます。この護衛を、興正寺で紀州藩主が近藤に依頼していたのですね。この時に三浦を護衛していた隊士の一人が、斎藤一といわれています。金戒光明寺でご子孫の方にお会いした時は、もう興奮してしまいました・・!
天満屋事件ではご周知、十津川郷士・中井庄五郎が闘死。このツアーでも、この後に天満屋跡地も巡りました。