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六角獄舎跡@京都2020

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龍馬とおりょうのエピソードが残る、「武信稲荷神社」のすぐ目の前が、「六角獄舎」です。ここに捕えられていたおりょうの父、楢崎将作に面会すべく、龍馬とおりょうは幾度となく訪れていたと言われています

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獄舎自体は平安時代に建設されたようですが、幕末には安政の大獄によって、多くの攘夷派の志士たちが捕えられていました。

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元治元年、禁門の変に伴い生じた火災が市中に広がり、六角獄舎にも火の手が及ぶ恐れが生じます。その際、囚人の解き放ちは行わず、しかも未だ判定が決まっていない囚人を斬首に処してしまいました・・。
そのうちの一人が、福岡藩の志士で、生野の変の首謀者、平野国臣でした。その事が、説明板に記されていました。

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そして我々幕末ファンの間では、よく知られている人物、勤王の志士古高俊太郎です。
ご周知、京都市中で道具屋に化け活動をしていましたが、新撰組に捕まり、壬生の屯所に連行され前川邸で拷問されます。蔵で逆さ吊りにされ、足には五寸釘。そこへ百目蝋燭を立てて火をともす。朦朧とする意識の中で、古高は同志の集会について口を割ってしまいます。これが幕末の大事件、新撰組の名を一気に世に轟かせることとなる、「池田屋事件」に繋がりました。
その後古高は、ここ六角獄舎に入れられていましたが、上記火災の際に斬首されてしまうのです・・・。

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ちなみに幕末よりももっと古くに、宝暦四年(1754)には囚人を使った人体解剖が日本で初めて行われたとそうで、医学者、山脇東洋の碑も建てられていました。
幕末には井伊直弼安政の大獄による、過激政治犯等が多く捕えられ、処刑されるようになったそうです。そして斬首に使われた刀を洗う「首洗井」が、埋め立てられてはいるものの現存している、という事で、密かな心霊スポットにもなっているようです・・。

 

 

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