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楢崎将作寓居跡(おりょう実家跡)@龍馬をゆく2020

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おりょうの父、楢崎将作は青蓮院宮の侍医で、京都柳馬場三条下ル付近で開業していたといいます。勤皇家の医師で、天皇の権威復活を望んでいた父を持つ長女のおりょうは、龍馬らの活動を理解したであろうことが想像出来ます

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その楢崎将作の寓居跡地に、碑が建っていました
「この付近坂本龍馬妻お龍の実家楢崎家跡」碑。2008年、京都龍馬会さん建立。
奥さんの実家の跡地に碑が建っているのも、龍馬くらいではないでしょうか・・笑

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ここから一辻南の六角通りを西に歩くと、先日触れました六角獄舎です。楢崎将作は、安政の大獄で六角獄舎へ捕えられていましたが、その面会に龍馬とおりょうが訪れていたと言う逸話が残っています。しかし、繰り返しになりますが、この話には時系列にズレがあり、そうだとすると、龍馬とおりょう文久二年以前に出会っていなければなりません。巷間伝えられているのは、龍馬とおりょうの出逢いは文久三年頃であり、既におりょうの父、将作は亡くなっています。武信稲荷神社の逸話がファンタジーなのか、あるいはもっと早い時期に龍馬とおりょうは出逢っていたのか、安政から文久にかけてのこの時期は、まだまだ検証が必要な、面白過ぎる時期であります