近江路のなかで、行きたいとおもいつつ果たしていないところが多い。
そのひとつに、寝物語がある。
そこは美濃と国境になっている。山中ながら、溝のような川(?)が、古い中山道の道幅を横断していて、美濃からまたげば近江、近江からまたげば美濃にもどれるという。「ねものがたりの里」など、地名として、一見、ありうべきでなさそうにも思えるが、しかし中世にも存在し、近世ではこの地名を知っていることが、京の茶人仲間では、いわば教養の範囲に属した。
こんばんわー、
由緒正しきおっさんの休日の過ごし方、「司馬遼太郎をゆく」です。笑
今回の「司馬遼太郎をゆく」は、『街道をゆく24』近江散歩、奈良散歩より「寝物語の里」をゆきます。
「ほんとうにいまでもあるのでしょうか」
と同行者が不安がるも当然で、「地図には、ない。」
しかし令和の今日では「グーグルマップ」なる魔法の道具があり、それを一たび開けば旧中山道沿いに「寝物語の里」としっかり出てきます。
更には「近江美濃国境寝物語碑」とまでポイントされ、まったくもって「教養のある」マップであります。
そんなグーグルマップにナビされながら、国道21号線よりも一本息吹山側を縫う旧中山道に入りました。しかしながら・・・マップ通りに行ったはずが、そんなのどこにも
ない・・・。笑
一度ぐるりと再び21号線に出て、再度同じ場所から旧中山道に入りもう一度注意深くその場所を超低速で行くと・・・
あった!ありました!
「近江美濃両国境寝物語」と刻まれた碑。
鳥が翼を広げるように、「近江」「美濃」が示されていました。
ともうひとつの石碑。
これを見すごした理由のひとつに「国境の川」という先入主もあった。いかに「小溝」と書かれていても、橋くらいあるだろうと予断していたのがよくなかった。
と、司馬先生らも通り過ぎて戻ったらしく、そういう意味では正確に「司馬遼太郎をゆく」のであります。笑
道路の下に、下水道のようにして幅五十センチほどの溝がある。
それが国境線だった。
溝は両側が石垣でかためられているが、野普請めいており、両側が小畑になっている。
なるほど、この溝ですな・・!
ほほう・・・かつてはここが近江と美濃の両国の境にて、小溝が隔てていたわけだ・・・。
江戸期にで出た「近江国輿地志略」という本に寝物語の話が載っているらしいのですが、
近江美濃両国の界なり。家数二十五軒、五軒は美濃、二十軒は近江の国地なり。
この溝を隔てて両国の家が建っていたらしく、その壁ごしで、美濃の人と近江の人が寝物語をする、というところからその地名ができたそうです。
ひょっとすると、美濃・近江の国境の二軒だけが合壁の長屋で、その二軒屋の床下を国境の小溝がながれ、両国の人が、壁ひとつをへだてて仲良く寝物語していた時代があったのかもしれない。
しかしなんだかすごい話ですよね・・・。現代人の私たちにはまったくもって信じられない・・。
いかにしてプライベートを保持するか、周囲の雑音をシャットアウトするか、な感覚とは真逆ですよね^^;!
そのそも、古の昔にはプライバシーなんてものは存在しないに等しかったでしょうし、そういう意味ではプライバシーとは、ほんの一部の貴人だけのものであったと言えるでしょう。
長屋自体が隣室の様子が筒抜けで、プライバシーもクソもあったもんじゃない^^;!笑 戦国なんてパワハラ、セクハラ、モラハラどころか、ありとあらゆるハラスメントのるつぼですからね・・^^;、人権なんて概念が、無い・・・。
そういう面からもう一度「寝物語の里」を思い直してみると、なんだかほっこりするような、今と違って何の娯楽も無い時代に、布団に入り真っ暗な天井を見つめつつ、両国の人が仲良く物語をするなんて、とても可憐なものに思えてくるのは私だけでしょうか。
そんな情景がその昔、今自分が立っているここに、あったのかと思うと、何やら街道にスッと風が吹き抜けるような気がしたのでした。
私は、近江の畑に立っている。ひとまたぎで美濃の畑にもどった。
関門トンネルで、「福岡県」「山口県」とインスタに上げるやつ、それと同じ。司馬先生もそれと同じことをやっていらっしゃる。笑
たしか埼玉と千葉と茨城?3県をまたぐ場所もありましたっけ(^^)笑
ほど近くに、芭蕉の句碑がありました。
これについても司馬先生は作品の中で触れています。
私は、どうせ「芭蕉文集」や「芭蕉句集」に出ているだろうと思いつつ、メモもとらなかった。
帰宅して「野ざらし紀行」をひらいてみたところ、句碑の俳句は出ておらず「芭蕉句集」にも見あたらなかった。
おぼろげな記憶では「正月も美濃と近江や閏月」だったようにおもう
って、先生・・その通りやん・・・笑!
司馬先生は幕末を書くにあたって神田の古本屋の本をまるごと、トラック一台分買ったという逸話もありますが、もの凄い速読術も有されていたようですね・・。
ネットも何も無い時代に、今のように後から簡単に調べられない時代に、「だったようにおもう」が完全なるものであることに、私は句碑を見ながら驚愕するのでした・・・。
息吹山方面を望む。
なるほどなあ・・・ここが滋賀と岐阜の県境になるのか~・・・
小溝に沿って、なにやら筋っぽく整地されているのが面白いですね^^;
どうやら砂防の措置がなされている様子でした
と、いうワケで今回の「司馬遼太郎をゆく」は「寝物語の里」を訪れました(^^)
いや~、非常に面白かったですねー!(私だけかもしれないけど^^;笑)
何が面白いって、この長久寺と今須を境に、車のナンバーがきっり滋賀と岐阜に分かれてるんですよ・・!当たり前っちゃあ当たり前なんですけどね^^;
寝物語の話を考えながらそれを目の当たりにすると、とっても面白く感じたのでした・・!笑
本日もお付き合い、ありがとうございました(^^)