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幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

司馬遼太郎をゆく【不破の関跡】壬申の乱@岐阜2022

こんばんわ、由緒正しきおっさんの休日のあり方、「司馬遼太郎をゆく」です(^^)

今回訪れたのは関ヶ原にある「不破の関」。

これは旧中山道でしょうか、非常に狭く曲がった道が古の雰囲気を醸し出しています。

この背中側には東海道新幹線が走り、深い山の中を切り裂くように跳んでゆく光景は感慨深いですね・・・。先日も出張の折り、スマホのグーグルマップを手にしながら「ここだ!」というポイントを見てやらんと窓外を凝視していたのですが、一瞬にして過ぎ去っておりました^^;

関ヶ原の関とは、いうまでもないことだが、不破の関のことである。
この関は、古代史のなかの関である。奈良朝以前から、畿内天皇政権にとっての防衛上の関所で、美濃・近江の境界の美濃側に置かれていた。
この不破の関と、北陸道からの敵の乱入を遮断する越前愛発の関、さらには伊勢からの敵をふせぐ鈴鹿の関が、律令時代、天下三関といわれていた。
不破の関壬申の乱(672)には、戦略的なかなめとして登場するが、平安初期には他の二関とともに廃された。

 

 

 

先生が書く「天下三関」に加え、近江宮を守る京都盆地側の関としてもうひとつ、逢坂関があるようですが、琵琶湖を中心として四方を固める重要な関のひとつであった事が解ります。

道路の右に「不破の関跡」という標柱があらわれた。

と書かれているのは旧中山道沿いの石碑のことなのか、昭和50年代頃とはまた様子も変わっているのかもしれませんが、現在では立派な門に囲まれた敷地に「不破の関跡」の史跡がありました

ここにも律令政下の三関のことが説明されていました。

しかし・・3ケタというのすごいですよね・・・当時ならもう・・完全に山でしょうね・・・・。

門の中に入るとお庭が整備されており、「不破関守跡」の説明書きがありました。

当時の人が、眼下に走る新幹線を見たら・・そらあ腰を抜かしたことでしょうね・・^^;

「幕末専門」の私が、戦国すら分っていないのに「壬申の乱」は難解過ぎますが^^;、近江に暮らす者としてはやはりちょっと興味をそそられます・・・。

私のお得意の、妄想歴史ワールドによりますと^^;

壬申の乱大海人皇子大友皇子を破り皇位に就いた、という事は、近い将来予見される騎馬民族による大陸からの襲来に対応すべく、崇神王朝から一度(表面上)騎馬民族化していた王朝を元の海洋民族王朝に戻した、という事を意味する面があるのではないかと・・。

そして伊勢の神宮を創建し、古事記を編纂させたというところも、大概的な表向きの記録ではなく、海洋民族としての「正史」を編纂させ始めたものではないか、と私は妄想するところです^^;

いやー、面白いですね!(私だけ・・?笑)

この関の跡は、岐阜県教育委員会が昭和49年から三カ年をかけて発掘調査し、土塁跡、庁舎跡、鍛冶工房跡などを発見し、その後、関ヶ原町に保管をゆだねた。
道路からそこまで降りてみると、木立ちのなかに、関の庁舎を模したかのようなきれいな町立の資料館が建てられていた。
キップを買って入館すると、よくできた復元模型が陳列されている。ほかに、出土の瓦、須恵器の盤、おなじく円面の硯、甕、「和同開珎」の古銭などが展示されていて、規模が小さいわりには見ごたえがある。

そう司馬先生が書かれている通り、よくある田舎の資料館(失礼!)にしては非常に見応えがありました。誰ひとりいやしない田舎の郷土資料館を結構訪れている私ですが^^;田舎と言ってさすが歴史的には「中心的」な歴史が、ドデカイ歴史のある土地ならではといった感があって、どこぞの大きく立派な都会の資料館のそれを見るよりもむしろ却って、改めて近江の歴史の深さを思い知るようなそんな気がいたしました。

壬申の乱の史料だけでなく、東西の境目ならではの?東と西での丸餅や角餅の違いやら、葱の白や緑やら、とても面白く興味深い展示多数で楽しめました(^^)

ここにも物価高騰の波が・・・・?^^;

@岐阜2022