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【梅田雲浜墓】|福井県小浜市「松源寺」|@福井2024

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今日は久々の幕末ログです

ご興味無い方にはごめんなさいです~・・

福井県小浜市にやって参りました

鯖街道を通って熊川宿までは行った事がありますが・・その先の小浜市に入るのは初めてです

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実は最近ちょっと気になる事があって・・・

小浜の昔っからの浜?はどの辺りだったんだろう・・と思って探しつつ・・地元の方なんかにもリサーチしながらブラついたんですが・・

皆さんから帰ってくる答えは皆同じく

「今はほとんど埋め立てちゃってるからねえ・・」

とのこと・・・。

これまでの経験から?大概は現在の国道あたりが昔の海岸線であったという場合が多い為、恐らくは現在のR162あたりが海岸線であったんじゃないの・・?と考えつつ・・

地元の方が「西津辺りなのかねえ・・」と言うのと合わせて地図を検索していたら・・

「湊」という地名があるじゃないですか・・

なるほど・・この界隈がかつての昔っからの浜?だった可能性があるんじゃないの?と考えて走っていたら・・

道路脇の看板が目に留まりました・・

梅田雲浜先生墓所

【松源寺】というお寺に梅田雲浜の墓があることを示す看板が目に入り・・

元々「気になっていたこと」から瞬時に「幕末」に心が切り替わってしまいました^^;

そうか・・梅田雲浜小浜藩士でありましたか・・!

たしか安政の大獄で捕らえられ江戸で獄死した記憶でありましたが・・そうか・・福井県小浜市のご出身だったんですね・・!

大津で塾を開き、京の都で活躍されたはずですが・・あれ・・?江戸でお亡くなりになられているのに故郷にお墓を建てたの・・?

と思ったら・・昭和になってから分骨して故郷の菩提寺にもお墓を建てたということだったんですね・・

松源寺の門前に、梅田雲浜の像が建てられておりました

安政」は私が幕末期の中でも最も注目する年間でもあるのですが・・安政5年(1859)にはじまる【安政の大獄】で尊皇攘夷の急先鋒の一人と目されて投獄されてしまいます・・

この安政5年に起こる出来事の一連の流れが・・ヤバすぎると思うのは私だけでしょうか・・?

幕府は朝廷に条約調印の勅許を請うもこれを拒否られ・・その後に起こる「戊午の密勅」なども雲浜が首謀者と見られてしまったようですが・・・

安政5年4月に井伊直弼大老に就任

7月に13代家定没、島津斉彬も急死

8月「戊午の密勅」

9月「安政の大獄」はじまる

安政6年8月、慶喜隠居・謹慎

9月に梅田雲浜獄死

10月吉田松陰処刑される

翌万延元年(1860)3月「桜田門外の変

その後8月には烈公も死去しますが・・烈公が死去した翌月には慶喜や春嶽の謹慎が解かれているんですよね・・

ちなみにこの安政5年11月、水戸藩士の住谷寅之助らが龍馬と会うも失望して帰っていった・・という話から・・文久元年(1861)の9月に「土佐勤王党」に加盟するまで龍馬の記録がすっぽり無いんですよね・・・

慶喜にしても謹慎が解かれたにも関わらずその後の約1年半の記録が無い・・というから不思議です・・・

さて梅田雲浜・・。

松源寺の本堂の裏手にある墓地に、雲浜の墓もあるようです

分かりやすく看板が示してくれていました

梅田雲浜墓。

合掌ー・・・

こちらは生家の矢部家?のお墓のようです

ここにまた幕末の痕跡をひとつ見つけたのでありました

@福井2024

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