うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

新撰組

西本願寺(太鼓楼)@京都2019

西本願寺です。人生とは不思議なものです。初めてここを訪れた2006年、私の「幕末」は、「龍馬」と「新撰組」しかありませんでした・・苦笑 そして、念願だった「龍馬祭」に訪れた2015年。秋の京都、西本願寺は金色の輝く紅葉が、とても印象的でした そして、2…

「燃えよ剣」2020映画化決定

少し前になりますが、「燃えよ剣」の映画化が決定したという報を受け、2020年の公開が今から待ち遠しいうめじろうです!たぶん、観る前から面白い!と思います。笑 「鬼の副長」土方歳三には岡田准一、局長・近藤勇に鈴木亮平、お雪に柴崎コウ、芹澤鴨に伊藤…

「燃えよ剣」口縄坂@大阪2018

萬福寺から更に南へ歩いた所に、「口縄坂」がありました 道の起伏がくちなわ(蛇)に似ていることから、付けられた名前だというこの坂 司馬遼太郎「燃えよ剣」ファンにとっては、印象的なシーンのひとつです 慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いに敗れて大坂に…

萬福寺@大阪2018

「萬福寺」に着きました おおっ・・、真新しい碑がしっかり建っています。「新撰組大坂旅宿跡」。 慶応元年(1865)、将軍家茂の上洛に備えて大坂の警備の為、新撰組はここ「萬福寺」に屯営しました。 新撰組は、谷三十郎以下20名ほどが、本堂で寝起きしていた…

京屋忠兵衛跡@大阪2018

八軒家船着場跡にほど近く、当時船宿が並んでいたであろうこの界隈にチーズ屋さん?がありました。そしてこのお店の建物の脇に・・・ 「京屋忠兵衛跡」のプレートが!新撰組の幹部が定宿としていたようです。そして龍馬の妻おりょうが、売られた妹を取り返す為…

加賀屋四郎兵衛邸跡付近@大阪2018

加賀屋もまた、豪商のひとつですね。元治元年(1864)11月、新撰組は局長・近藤勇名で加賀屋四郎兵衛をお呼び出し。分家の加賀屋徳兵衛が代理として「三橋楼」に出向くと、近藤から大阪商人に対しての献金要請があったそうです。加賀屋では銀6600貫を新撰組…

「千草屋跡」付近@大阪2018

おお~っ、ここがかの有名な「御堂筋」!「雨の御堂筋」♪ですな!(ふるう~・・)苦笑 さて、これまた何の変哲もない都会のビルの一角。アイツ何写真撮ってんねん?的な目線が刺さりまくりですが、新撰組ゆかりの?「千草屋跡地」付近です。かの鴻池・三井に…

壬生義士伝をゆく⑨南部藩大阪蔵屋敷跡地@大阪2018

「壬生義士伝」のクライマックス、吉村貫一郎が自刃する場面。家族の下へ還ることを夢見ながらも、サムライとして自刃して果てる貫一郎。「ととは地獄へも極楽へもいがねぇ・・、ととはいつでも、おめたちのそばにいる・・」最期の最期、家族を夢想し命懸けで稼…

壬生義士伝をゆく⑧上田の堤@盛岡2017

盛岡のNHKのある交差点の向こう側に、「高松の池」があります。春の時期には桜の名所のひとつとなっているようで、私が訪れた時期には桜祭りよろしく、アジアの観光客も相重なって混雑していました ここは江戸初期、盛岡の治水の為に造られた堤で「上田堤」…

壬生義士伝をゆく⑦盛岡八幡宮@盛岡2017

春雨に濡るる、盛岡八幡宮を訪れました ここは、秋祭りで貫一郎がしづに求婚するシーンの舞台ですね やはりここも、独特の空気感を感じ、春のせいなのか、雨模様の天候なのか、冷涼な盆地独特の空気のせいなのか、私的には寂寥感の中にもどこか子供の頃に感…

壬生義士伝をゆく⑥上の橋@盛岡2017

南部盛岡は日本一 美しい国でござんす 西に岩手山がそびえ 東には早池峰 北には姫神山 城下を流れる中津川は北上川に合わさって豊かな流れになり申す 盛岡にもここ(京 三条大橋)とよく似たところがありまして ずっと小さな橋ですけれど こういう擬宝珠がつ…

壬生義士伝をゆく⑤南部曲がり家@盛岡2017

「しんづ」は雫石の出身でしたね。そのしづの実家の造りが「南部曲がり家」と言われる造りです。 ここは御所湖湖畔にある、当時の南部曲がり家を残している場所です 南部曲がり家とは、全国有数の馬産地であった南部藩によくあった家の造りで、土間に隣接し…

壬生義士伝をゆく④石割桜@盛岡2017

「南部の武士たれば 石ば割って咲げ」 という貫一郎のセリフ、たまんないですね・・! その「壬生義士伝」で語られる「石ば割って咲ぐ桜」、盛岡の天然記念物「石割桜」です ここは私のような壬生義士伝ファンが訪れる、のではなく、当然、一般観光スポットで…

壬生義士伝をゆく③岩山@盛岡2017

「岩山」。貫一郎が教え子たちを連れて登った山です。この日は雨模様にて、盛岡の街が雨に煙っていました。 「岩山公園」として整備された山は標高約340mとのことで、だいたい東京タワーくらいの高さ、ということになるのでしょうか そして「啄木望郷の丘」…

壬生義士伝をゆく②明義堂(作人館)跡@盛岡2017

南部藩の藩校「明義堂」跡地を訪れました。ここは吉村貫一郎が教べんをとっていた設定の藩校です。 現在は「日影門緑地」として公園となっています ん!?明治天皇の文字が刻まれた石碑が・・・ 明治九年の明治天皇御巡幸を記念した大きな碑が公園の中に建てら…

壬生義士伝をゆく①吉村貫一郎が住んでいた場所@盛岡2017

「うめじろうのええじゃないか!」を始めた2011年、記念すべき最初の記事が「私はコレで幕末にのめり込みました」だったと思います。そう、浅田次郎先生の「壬生義士伝」。以来私の幕末熱は上がり続け、全国各地の龍馬、幕末を歩くのが最大の愉しみとなって…

「釜屋」跡@東京2016

「東海道品川宿」いいですねー、この響き・・。歴史と道、これもまた非常に興味深いテーマのひとつです。 こうした道幅の狭さに当時の街道を妄想させられ、否、妄想出来るか否かが楽しめるか否かでもあるように思えます その品川宿の、とあるビルの一角に、な…

「馬頭観音(近藤勇処刑場付近)」@板橋2016

板橋「馬頭観音」とは当時中山道の旅の道中、病気になったりケガをした馬たちを処分していた「馬捨て場」というのがあったそうで、ここに馬を祀ったものと思われます。近藤勇が処刑されたのは「板橋刑場」と言われますが、当時そういった施設があったわけで…

「平尾宿脇本陣跡(近藤勇幽閉地)」@板橋2016

流山から板橋の新政府軍本営(板橋宿本陣)に護送された大久保大和こと近藤勇は、平尾宿の脇本陣で名主の豊田家に移され幽閉されました。 その平尾宿脇本陣跡を示す碑が建てられていました 豊田家は代々平尾宿の名主として江戸時代中期から脇本陣を務めてい…

「板橋宿本陣跡」@板橋2016

大久保大和こと近藤勇の尋問が行われた板場宿。現在の国道17号線に沿った裏通りの商店街になる旧中山道を歩きました。板橋宿を示す門上にはゆるキャラ的なものが座っています。 江戸四宿(品川、千住、内藤新宿、板橋)のひとつと言われている板橋宿ですが、…

「近藤勇像」@板橋2016

板橋は寿徳寺の境外墓地、近藤勇の墓と戦線組供養碑です この墓地にある「近藤勇像」。 近藤勇の銅像も各地にあると思いますが、こちらの像はキリっと締った表情にもどこか「笑み」を感じる表情をされていますね。 私は個人的に近藤勇という人は笑顔にとても…

「近藤勇墓」@板橋2016

板橋駅を降りるとすぐ前の道に「新撰組の街滝野川」という永倉新八のキャラが描かれたフラッグが掲げられていました 駅からすぐのところに「新撰組隊長 近藤勇墓所」と大きな看板が掲げられ一目で分かります ここは寿徳寺の境外墓地ということで、近藤勇の墓…

「篠原泰之進墓」@東京2016

北辰一刀流で伊東甲子太郎とともに新撰組に入隊、その後も伊東派として新撰組を脱退し御陵衛士に。「油小路」では辛くも逃げ切り後に近藤勇を狙撃して重傷を負わせたことで有名ですね。篠原泰之進墓。青山霊園にて。

「池田屋跡」@京都2015

私の好きな「三条小橋ワタル」という音。その三条小橋を渡ると 「池田屋跡地」です。9年前にはパチンコ屋さんだったその場所も、「池田屋」という居酒屋さんに変貌していました・・。 しかしかつてのパチンコ屋さんよりは「新撰組」をモチーフにした居酒屋さん…

「伊東甲子太郎他数名殉難之跡」@京都2015

やはり9年前に訪れた「油小路」を再訪しました。当初は夜を歩こうと考えていたのですが、今回の行脚はトラブル続きにて朝歩くことになりました・・。 御稜衛士、伊東甲子太郎が絶命した付近と言われる「本光寺」にやってきました。 門前の「伊東甲子太郎外数名…

「高台寺」@京都2015

11月の京都はすごい人ですねえ・・。紅葉シーズンの観光に重ねてアジア系外国人の観光客の数には圧倒されます・・。 9年前は「御稜衛士屯所跡」である高台寺月真院を訪れましたが、その高台寺を見学しようと歩いてきましたが、あまりの観光客(とくにアジア系外…

「西本願寺」@京都2015

「国道1号線」っていいですねえ・・。何か非常に浪漫のある道です。 さて、9年ぶりの京都巡りにて「西本願寺」まで歩いてきました。ああ・・懐かしいです、この光景よく覚えていますよ。 前回は恒例の幕末巡り時期である2月でしたが、今回は11月。秋の西本願寺に…

「新撰組刀傷の角屋」@京都2015

これまた9年ぶりの「角屋」です。格子造りの整然とした様子がとても印象的ですね。 「新撰組刀傷の角屋」の碑。京都を歩いているとあらゆる所に碑が建っていますね、それだけ歴史が深い証拠なのでしょう。 前述の輪違屋が置屋なのに対して、こちらの角屋は「…

「輪違屋」@京都2015

島原大門の内へ入り、これまた9年ぶりに「輪違屋」を訪れました。ここも9年前となんら変わらず、な印象でそういうのが嬉しかったりします。 「置屋」である輪違屋ですが、しつこいですが私は浅田次郎先生の新撰組関連の小説が大好きでして、まあここでもその…

「島原大門」@京都2015

かつての「壬生狼」は京の都の中心部からは離れた界隈である壬生に起居したようですが、ワタクシも現代の下流そのものの身として?京都観光の中心部に寝泊まりすることは出来ず、この界隈に宿泊いたしました(苦笑) 9年ぶりに訪れた「島原大門」。10年一昔…