うめじろうのええじゃないか!

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新撰組

「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」その3@京都2020

2020年10月、よみうり文化センターの講座「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」に参加いたしました(^^) その3「不動堂町屯所」 これは私自身、2006年に自身でここを訪れており、まったく同じ場所から写真撮影をしておりました。それから14年後に、プロの…

「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」その2@京都2020

2020年10月、よみうり文化センターの講座「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」に参加いたしました(^^) その2「明王院不動堂」 ハトヤ瑞鳳閣からそぞろ歩きまして、不動堂にやって来ました 西山浄土宗の不動堂。不動堂村の名前の由来になりました この界…

「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」その1@京都2020

2020年10月、よみうり文化センターの講座「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」に参加いたしました(^^)ここ15年来、趣味の幕末巡りを、ずっと単独で歩いて参りましたが、こうした公の催しに参加させていただいたのは初めての事でした。もちろん、今回の…

金戒光明寺・大方丈「謁見の間」@京都2020

京都守護職会津本陣。「くろ谷さん」こと、金戒光明寺。 2020年11月、秋の特別公開に行ってきました 御影堂を見学する前に、先に山門の特別公開を見学したのですが、なんとその山門にて、斎藤一のご子孫とお会いする・・!という・・・とんでもない経験をいたしま…

【金戒光明寺特別公開】「くろ谷さん」で、斎藤一のご子孫に会う!@京都2020

年末年始は新撰組を特集しようと考えていたのですが、すみません・・、編集している時間という時間がまるで無く・・、もう少し先延ばしになりそうです・・ゴメンナサイ・・!ひとまず、2020年秋のくろ谷さん、【金戒光明寺特別公開】の記録です 「くろ谷さん」と言え…

【新撰組が愛したお漬物】@京都「総本家近清」

【新撰組が愛したお漬物】@京都「総本家近清」

「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」@京都2020

明治維新を一年遅らせた、とも言われる幕末の大事件、「池田屋事件」元治元年(1864)六月五日、池田屋で新撰組に踏み込まれ斃れた志士たちが、現場に放置されていたといいます その志士たちの遺体が、当時ここにあった三縁寺に運び込まれ葬られたそうです現…

伏見奉行所跡@京都2020

伏見の団地の一角に、「伏見奉行所跡」がありました。以前寺田屋を訪れた時には、ここへ来ることは無かったので再訪しました 「伏見奉行所跡」碑。かつては幕府の直轄領だった伏見。川港と宿場町としての交通の要衝として、幕府はここをおさえておきたかった…

新撰組が忘れたであろう煙管入れ@滋賀2019

先日の報道で、「新撰組の忘れものが新たに発見された!?」という記事を見て、目下地元の滋賀県草津市の話題に興奮しました!8月~「草津市立草津宿街道交流館」で展示される、との事にて、早速見学に行ってきました。 「忘れ物展」と題されたスポット展示…

伊東甲子太郎外数名殉難之地@京都2019

実に・・。13年ぶりの油小路です。2006年当時は、まさか13年後に京滋に転居しているなんて、まったく考えられませんでした・・・。 慶応三年十一月と言えば、そう、十五日の坂本龍馬の誕生日と「暗殺日」。新撰組が狙っているから気をつけろ、と龍馬に忠告に行っ…

西本願寺(太鼓楼)@京都2019

西本願寺です。人生とは不思議なものです。初めてここを訪れた2006年、私の「幕末」は、「龍馬」と「新撰組」しかありませんでした・・苦笑 そして、念願だった「龍馬祭」に訪れた2015年。秋の京都、西本願寺は金色の輝く紅葉が、とても印象的でした そして、2…

「燃えよ剣」2020映画化決定

少し前になりますが、「燃えよ剣」の映画化が決定したという報を受け、2020年の公開が今から待ち遠しいうめじろうです!たぶん、観る前から面白い!と思います。笑 「鬼の副長」土方歳三には岡田准一、局長・近藤勇に鈴木亮平、お雪に柴崎コウ、芹澤鴨に伊藤…

「燃えよ剣」口縄坂@大阪2018

萬福寺から更に南へ歩いた所に、「口縄坂」がありました 道の起伏がくちなわ(蛇)に似ていることから、付けられた名前だというこの坂 司馬遼太郎「燃えよ剣」ファンにとっては、印象的なシーンのひとつです 慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いに敗れて大坂に…

萬福寺@大阪2018

「萬福寺」に着きました おおっ・・、真新しい碑がしっかり建っています。「新撰組大坂旅宿跡」。 慶応元年(1865)、将軍家茂の上洛に備えて大坂の警備の為、新撰組はここ「萬福寺」に屯営しました。 新撰組は、谷三十郎以下20名ほどが、本堂で寝起きしていた…

京屋忠兵衛跡@大阪2018

八軒家船着場跡にほど近く、当時船宿が並んでいたであろうこの界隈にチーズ屋さん?がありました。そしてこのお店の建物の脇に・・・ 「京屋忠兵衛跡」のプレートが!新撰組の幹部が定宿としていたようです。そして龍馬の妻おりょうが、売られた妹を取り返す為…

加賀屋四郎兵衛邸跡付近@大阪2018

加賀屋もまた、豪商のひとつですね。元治元年(1864)11月、新撰組は局長・近藤勇名で加賀屋四郎兵衛をお呼び出し。分家の加賀屋徳兵衛が代理として「三橋楼」に出向くと、近藤から大阪商人に対しての献金要請があったそうです。加賀屋では銀6600貫を新撰組…

「千草屋跡」付近@大阪2018

おお~っ、ここがかの有名な「御堂筋」!「雨の御堂筋」♪ですな!(ふるう~・・)苦笑 さて、これまた何の変哲もない都会のビルの一角。アイツ何写真撮ってんねん?的な目線が刺さりまくりですが、新撰組ゆかりの?「千草屋跡地」付近です。かの鴻池・三井に…

壬生義士伝をゆく⑨南部藩大阪蔵屋敷跡地@大阪2018

「壬生義士伝」のクライマックス、吉村貫一郎が自刃する場面。家族の下へ還ることを夢見ながらも、サムライとして自刃して果てる貫一郎。「ととは地獄へも極楽へもいがねぇ・・、ととはいつでも、おめたちのそばにいる・・」最期の最期、家族を夢想し命懸けで稼…

壬生義士伝をゆく⑧上田の堤@盛岡2017

盛岡のNHKのある交差点の向こう側に、「高松の池」があります。春の時期には桜の名所のひとつとなっているようで、私が訪れた時期には桜祭りよろしく、アジアの観光客も相重なって混雑していました ここは江戸初期、盛岡の治水の為に造られた堤で「上田堤」…

壬生義士伝をゆく⑦盛岡八幡宮@盛岡2017

春雨に濡るる、盛岡八幡宮を訪れました ここは、秋祭りで貫一郎がしづに求婚するシーンの舞台ですね 壬生義士伝 [ 中井貴一 ] 価格:2,464円(2022/8/7 22:57時点)感想(3件) やはりここも、独特の空気感を感じ、春のせいなのか、雨模様の天候なのか、冷涼な盆…

壬生義士伝をゆく⑥上の橋@盛岡2017

南部盛岡は日本一 美しい国でござんす 西に岩手山がそびえ 東には早池峰 北には姫神山 城下を流れる中津川は北上川に合わさって豊かな流れになり申す 盛岡にもここ(京 三条大橋)とよく似たところがありまして ずっと小さな橋ですけれど こういう擬宝珠がつ…

壬生義士伝をゆく⑤南部曲がり家@盛岡2017

「しんづ」は雫石の出身でしたね。そのしづの実家の造りが「南部曲がり家」と言われる造りです。 ここは御所湖湖畔にある、当時の南部曲がり家を残している場所です 南部曲がり家とは、全国有数の馬産地であった南部藩によくあった家の造りで、土間に隣接し…

壬生義士伝をゆく④石割桜@盛岡2017

「南部の武士たれば 石ば割って咲げ」 という貫一郎のセリフ、たまんないですね・・! その「壬生義士伝」で語られる「石ば割って咲ぐ桜」、盛岡の天然記念物「石割桜」です ここは私のような壬生義士伝ファンが訪れる、のではなく、当然、一般観光スポットで…

壬生義士伝をゆく③岩山@盛岡2017

「岩山」。貫一郎が教え子たちを連れて登った山です。この日は雨模様にて、盛岡の街が雨に煙っていました。 「岩山公園」として整備された山は標高約340mとのことで、だいたい東京タワーくらいの高さ、ということになるのでしょうか そして「啄木望郷の丘」…

壬生義士伝をゆく②明義堂(作人館)跡@盛岡2017

南部藩の藩校「明義堂」跡地を訪れました。ここは吉村貫一郎が教べんをとっていた設定の藩校です。 現在は「日影門緑地」として公園となっています ん!?明治天皇の文字が刻まれた石碑が・・・ 明治九年の明治天皇御巡幸を記念した大きな碑が公園の中に建てら…

壬生義士伝をゆく①吉村貫一郎が住んでいた場所@盛岡2017

「うめじろうのええじゃないか!」を始めた2011年、記念すべき最初の記事が「私はコレで幕末にのめり込みました」だったと思います。そう、浅田次郎先生の「壬生義士伝」。以来私の幕末熱は上がり続け、全国各地の龍馬、幕末を歩くのが最大の愉しみとなって…

「釜屋」跡@東京2016

「東海道品川宿」いいですねー、この響き・・。歴史と道、これもまた非常に興味深いテーマのひとつです。 こうした道幅の狭さに当時の街道を妄想させられ、否、妄想出来るか否かが楽しめるか否かでもあるように思えます その品川宿の、とあるビルの一角に、な…

「馬頭観音(近藤勇処刑場付近)」@板橋2016

板橋「馬頭観音」とは当時中山道の旅の道中、病気になったりケガをした馬たちを処分していた「馬捨て場」というのがあったそうで、ここに馬を祀ったものと思われます。近藤勇が処刑されたのは「板橋刑場」と言われますが、当時そういった施設があったわけで…

「平尾宿脇本陣跡(近藤勇幽閉地)」@板橋2016

流山から板橋の新政府軍本営(板橋宿本陣)に護送された大久保大和こと近藤勇は、平尾宿の脇本陣で名主の豊田家に移され幽閉されました。 その平尾宿脇本陣跡を示す碑が建てられていました 豊田家は代々平尾宿の名主として江戸時代中期から脇本陣を務めてい…

「板橋宿本陣跡」@板橋2016

大久保大和こと近藤勇の尋問が行われた板場宿。現在の国道17号線に沿った裏通りの商店街になる旧中山道を歩きました。板橋宿を示す門上にはゆるキャラ的なものが座っています。 江戸四宿(品川、千住、内藤新宿、板橋)のひとつと言われている板橋宿ですが、…