「京屋忠兵衛跡」のプレートが!新撰組の幹部が定宿としていたようです。そして龍馬の妻おりょうが、売られた妹を取り返す為に、懐中に短刀をしのばせて単身乗り込んでいった時も、この宿を利用したと言われています。
ちなみに、東奔西走の龍馬は、京屋忠兵衛の隣にあった「堺屋源兵衛」を大阪の定宿にしていたという説が有力のようで、物語でも堺屋を出る龍馬を、京屋の二階から藤堂平助が見ていた、というシーンがあったと思います。一般的には誰も見向きもしない都会の片隅に、幕末ファンにはとても濃いポイントが、ひっそりと佇んでいました。