通称「薩摩寺」、伏見大黒寺。
薩摩の内ゲバ、寺田屋事件の「薩摩九烈士之墓」がありましたが、こちらのお寺にはもうひとつ、幕末ファンには欠かせない墓がありました
「平田靱負翁之墓」。
ご周知、木曽川の大規模治水工事「宝暦治水工事」で指揮を執った平田靱負の墓です。
宝暦三年(1753)、薩摩藩を財政的に弱体化させるべく、徳川幕府が「お手伝い」を命じた木曽川の大規模治水工事。工事費用は全額薩摩藩負担、工事そのものの難しさもさることながら、地元住民との軋轢、徳川幕府による数々の妨害工作、いじめ。辛辣を極め死者も続出する状況下、平田らは工事をやり遂げ、最後には責任を取って自刃する、という「義士伝」として語られています。
この事件には私も大変感銘を受け、鹿児島の「宝暦治水薩摩義士墓所」、鶴丸城の「薩摩義士碑」、それから「平田公園」も訪ね歩きました。岐阜の治水神社なども訪れたいポイントのひとつで、これは宿題となっています。
龍馬ファンからすると、伏見=寺田屋、お登勢、龍馬、おりょう、といった連想になりますが、寺田屋は薩摩藩の定宿で、近くには藩邸もあり、薩摩藩との関連も深い場所ですよね。龍馬も幕府対策の為、「薩摩藩士」として活動していたこともあって、寺田屋を定宿とした面もあるのでしょう。いずれにせよ、龍馬と縁の深い場所のひとつです。