2021年6月に、戒光寺を再訪した時の記録です。
こちらには2006年、初めて京都幕末巡りをした際に一度訪れており、新撰組の伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内監物、服部武雄の墓参りをしました。
今回も15年ぶりのお墓参りをしようと訪れたのですが、御陵衛士墓所参りには事前予約が必要になっていて、この日は墓参りをすることは出来ませんでした・・・。
それにしても先日の「幕末相棒伝」での伊東甲子太郎の描かれ方は酷かったですね・・・。あのドラマひとつで、演じた役者がキライになりました・・・笑
伊東甲子太郎はご周知、千葉門の北辰一刀流。横に眠る藤堂平助も同門です。
そもそも新撰組に入ったのも、同門の藤堂平助が伊東を誘ったからとされていますが、北辰一刀流と言えば我らが坂本龍馬です。
その坂本龍馬に、新撰組を脱退して御陵衛士となっていた伊東は忠告に出向きました。
「新撰組が狙っている」
危ないから早く土佐藩邸に身を移せ、と近江屋に忠告に来たという話は有名です。
薩摩の吉井幸輔なども同じように、危ないから藩邸へ身を移せ、薩摩藩邸でもよいということだったのでしょう、しかし、不自由を嫌う龍馬は聞きません。
ご周知の通り、龍馬は11月15日に暗殺され落命。
そしてその3日後の18日に、伊東甲子太郎も「油の小路」で新撰組に暗殺されました。
油の小路では暗殺した伊東の遺体を辻に放置し、引き取りに駆け付けるであろう御陵衛士を一網打尽にすべく新撰組が待ち構えていました。一説によると、御陵衛士7名に対して取り囲んだ新撰組隊士は40~50名もいたそうです・・。
藤堂平助に至っては試衛館以来の古参だった為、永倉や原田が逃がそうと試みたものの、そうした心情を酌めなかった他の隊士によって殺されてしまいますが、この逸話も映画やドラマで必ず登場するシーンですね。
ちなみに、服部武雄は新撰組の中でも二刀流の使い手だったと言われており、この時の奮闘も凄まじかったそうです。油の小路での服部の孤軍奮闘ぶりを想像すると、私が幕末にハマった映画「壬生義士伝」の主人公、吉村貫一郎をイメージしてしまいます・・。映画の中で吉村は、二刀をその手に敵中へ単身駆けてゆくのです・・・。
御陵衛士の遺体は、慶応4年にこちらに改葬されたそうです。
油の小路の後日談としては1カ月後に、御陵衛士が今度は伏見街道沿いにて二条城からの帰路の近藤勇を待ち伏せし、狙撃。近藤勇の肩に重傷をおわせる事件がありましたが、これも有名なシーンですね。
おっと・・いけない・・・!
幕末を語り始めたらついついどこまでもキリなく爆走してしまいます・・、この辺でやめておきましょう・・・笑
残念ながら今回は、御陵衛士の墓参りは出来なかったのですが、その代りと言いますか2006年寺には参拝しなかった本堂へお参りさせていただきました。
そしたらびっくり!めちゃくちゃ巨大なご本尊が祀られており・・驚愕いたしました・・!
そもそも一般的には「丈六釈迦如来」が有名なお寺さんで、参拝に来られる方が多いんですね・・。私のような幕末・新撰組ファンはどうしても御陵衛士の墓所ばかりにとらわれてしまいます・・・。
本堂の写真はNGだったので、戒光寺のHPでご覧下さい。
あ、こんなところにも「飛び出し坊や」が・・・笑
@京都2021