加賀屋もまた、豪商のひとつですね。元治元年(1864)11月、
新撰組は局長・
近藤勇名で加賀屋四郎兵衛をお呼び出し。分家の加賀屋徳兵衛が代理として「三橋楼」に出向くと、近藤から大阪商人に対しての
献金要請があったそうです。加賀屋では銀6600貫を
新撰組に拠出したそうで、集まった金は総計22万5千両にもなったとか。大阪と
新撰組というと、どうも金の押し借りみたいな話が多い印象ですね・・苦笑。それだけ「天下の台所」にはお金持ち、豪商が多かったということですね。
「
大阪薬科大学発祥の地」碑がありました。現在の
塩野義製薬本社の場所なんですね。街歩きは、「そうだったんだ」な発見が多く、とても楽しいものです。私だけかな・・・。