今回は墓マイラー記事です。池田屋惣兵衛の墓参りをしました。合掌ー。
池田屋惣兵衛ー。
ご周知、幕末の大事件「池田屋事件」。当ブログでも幾度となく、取り上げて参りました。その池田屋のご主人ですね。
私もそうですが、「池田屋事件」は小説等の作品で世に知られていますので、どうしてもその作品における在り様が「定説」として定着してしまいます・・。
元治元年(1864)、捕えられた古高俊太郎が口を割り知れた京都御所焼討ち計画、長州人を中心とするその集会情報をキャッチし、市中探索に出る新撰組。
手分けして市中を探索する中、近藤勇率いる部隊が池田屋に突入!
「ご用改めである!手向かい致すにおいては、容赦なく斬り捨てる!」
テロ計画を練る尊攘派をバッサバッサと斬り伏せる!新撰組側は近藤ら僅か4人で、約20人の敵を撃ち伏せてしまった・・恐るべき新撰組!長州側死亡者、七名。
と、いうのがざっくりした「定説」です。
これによりめちゃくちゃ強い新撰組!ということが世に轟き、またたく間に「メジャー」に駆け上がってゆくわけです。
しかし、そんな新撰組「池田屋事件」も最近では異説も出てきており、古代史の縄文・弥生時代ではありませんが、これまた定説がどんどん崩されていってる感もありますね・・!
先ごろ放送されたNHK「歴史探偵」では、この池田屋事件を最新の科学と、最近になって発見された長州側の史料を元に検証する、という番組がありました。こうした歴史番組も、どうでしょうか、私と同じく歴史好きやマニアの方には毎回同じような内容の繰り返しで、ありきたりな定説をなぞるだけのさして面白いものでは無い、という方も多いのではないかと思うのですが、このコンテンツは久しぶりに面白いと実感いたしました。
番組では、コンピュータを使った池田屋事件のシュミレーションを実施、その結果、長州人側を20人で設定した場合、新撰組は全滅してしまうという結果になりました・・。
また、発見された長州側の生存者、「和田義亮」の履歴書を元に池田屋の再現VTRを作成したものが放送されましたが、これまたリアリティを感じる面白い内容でありました。
10年程前でしたでしょうか、土佐藩が残していた「池田屋事件の報告書」というのも高知で発表されていた記憶ですが、たしかそこには長州側の死者は5名だったと思います。一方の、新撰組の記録では7名。このように、新撰組側の記録と、尊攘長州側の記録には食い違いが見られます。
これには、新撰組側にしてみれば、「俺達はこんなにすごい事をやってのけたんだぞ!」という「盛り」も入っていると考えて不思議はないでしょう。近藤の手記等であれば、故郷に対して今日の都での活躍を自慢したい気分があって当然でしょうし、そこには「盛り」も出てきましょう。
一方で、土佐藩の報告書に関しては、こちらは公のものであり、国許に実情を報告する性格のものでしょうから、そこには正確性が求められることになると思われます。
また、池田屋の女中さんの記録というものも残っているらしく、そこにも5名として土佐藩の記録と合致しているそうです。
こうしたことから、最近では「池田屋事件は新撰組の捏造説」のようなものも出てきておりますが、まあ、自分達の事を「盛って」伝えている、という面は否めないんじゃないかとは思うところですね。
最後にお得意の、うめじろうの妄想幕末ワールドです。
この池田屋騒動の後も、新撰組は祇園や大仏あたりを掛け巡り、長人の殲滅作戦を実行していた節が感じられます・・。その捜索が及んだ場所も二十カ所以上とも言われており、つまり池田屋はそのひとつであって、たまたま大物が集い、こちら(新撰組側)も大物が討ち入り、チャンバラになった、死者も出た。騒ぎを聞き付け土方部隊等も池田屋に駆け付けた、そういった景色だったのではないでしょうか・・。
その前年には公武合体派のクーデターにて、八一八の政変で長州は都落ち。全体像として、早く長州を叩きのめせ、殲滅せしめろ、という気分が高じる中で、「会津はまだか・・!」という気分はそうした所に繋がってのものではなかろうか、という気がいたします。そして池田屋事件の翌月には、長州が軍を進めて禁門の変。池田屋で新撰組に同胞を殺された怒りも手伝って、暴発に繋がっていったのではないでしょうか。
「歴史は勝者が書きます」が、維新後の長州的には、「池田屋では新撰組という旧幕府に飼われていた賊に押し入られ、こんなに酷い目に遭わされた、まったく酷い連中に酷い事をされたものだ」というイメージを強めていた方が得策だと考えていたのではないでしょうか。都合が良いので、近藤が「盛った」噺を泳がせておこう、と。
幕末維新はもう、面白過ぎて、もうかれこれ18年ほど追い続けて来ましたが、未だその「病気」の熱は収まらず、次から次へと興味が湧いてきてしまいます・・。
このような最近になって定説が崩されていくような面を見ていても、やはり大きな時代の変化のキワに立っているのだな、という事を実感する思いです。
今回は池田屋惣兵衛の墓参りをしつつ、再び池田屋事件に思いを馳せてみました。
池田屋事件によって捕えられ、獄中で亡くなった惣兵衛・・・。彼の眼に映っていた幕末とは、一体どのようなものだったのでしょう・・・。
どうぞ安らかに。合掌ー。