2020年秋、壬生の八木邸を久々に見学いたしました。ここは幾度か訪れてはおりますが、見学料をお支払いして中を見るのは2006年以来ですね。
因みに、先日UPしました「新撰組巡りのツアー」では無く、いつもの孤独な「ひとりツアー」です・・笑 先日の新撰組巡りツアーと言えば不動堂村屯所跡と西本願寺界隈でしたが、あの後この壬生を巡ったツアーにも参加いたしましたので、それはまた後日、編集出来たらUPしたいと思います。
さて、新撰組。新撰組と言えば文久三年、文久三年と言えば新撰組、というイメージが私には強いのですが、文久三年二月に浪士組は京の都に上ります。入洛した浪士組は壬生村に分宿、後の新撰組主要メンバーとなる芹澤鴨、近藤勇、土方歳三らが宿したのが「八木邸」でした。そしてまた、芹澤鴨の粛清の現場となった八木邸。そんな新撰組発祥の宿に想いを至し、久々の見学です。
今回は少し、永倉新八の「新撰組顛末記」をなぞって見学してみたいと思います
「その月の十三日、いよいよ将軍家上洛に先立って浪士隊は中仙道を京都へのぼることとなった」
中山道を上ったんですね~!現在、「東海道と中山道の分岐」草津宿に暮らす私にとって、興奮ポイントです!笑 更にその草津宿で、浪士の中から目付役選ばれた村上某と、山南敬助と揉める様子が書かれているのにも、萌えます。笑 ちなみに、草津宿には宿泊した「新撰組が忘れたであろう煙管入れ」があったそうです。これは浪士組が京に上った文久三年では無く、新撰組が大きくなり隊士募集の為に土方らが江戸へ下った慶応元年のものらしいですね。すみません・・、話がいくらでも逸れてしまいます・・苦笑
「道中をいそいでようやく事なく十日目というに入洛した。着するとともに一行を壬生村の郷士八木源之丞、南部亀次郎、前川荘治ならびに新徳寺の四箇所へ分宿せしめ、ひとまず組をといて道中の疲労を休めることとなった。」
「前川荘治の邸宅には鵜殿鳩翁、山岡鉄太郎、佐々木只三郎など幕府の役人がとまり、新徳寺には清川八郎、池田徳太郎、村上俊五郎、村上久之丞、清川の弟斎藤熊三郎等、八木源之丞の邸宅には芹澤鴨、山南敬助、井上源三郎、近藤勇、新見錦、土方歳三、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、原田左之助、野口健司、平山五郎、平間重助の十三人がとまった」
「清川八郎と芹澤鴨以下が期せずして軒をことにしたのはなにかの暗示であったとはのちにぞ思いしられた」と、永倉新八も言うように、八木邸に宿したのはまさに後の新撰組主要メンバーだった訳ですね。
こうしたことから、八木家には「新撰組発祥の地」の看板が立つ訳です。笑
それにしても大所帯と言いますか、結構な人数ですよね・・・。ただでさえ血気盛んな男どもが、大勢で一カ所に寝泊まりしていたら、もうそれだけで喧嘩になりそうだと思ってしまいます・・。とりあえず私には絶対ムリ!ですね・・・苦笑
もうひとつ、八木家にまつわる新撰組の逸話として、芹澤鴨暗殺があります。横暴極まりやりたい放題の芹澤鴨を、近藤一派が粛清した言わば内ゲバ事件。その舞台でもあります。
「両雄もとよりならびたたず、隊中はおのずから二派に縦断されて近藤は土方歳三、山南敬助、沖田総司などを両の翼とし、芹澤もおなじ水戸出身の縁故から新見錦を右の腕としてこれに対するようなありさまになる」
時は文久三年九月十八日夜、新撰組の大宴会が島原角屋で開かれました。
「議が終わって大宴会がおこなわれた。大広間は酒池肉林となって弦歌は一廓をゆるがす。近藤は今宵こそ芹澤を成敗してくれんと土方、沖田、藤堂、御蔵伊勢の四人へ旨をふくめその爛酔をまって暗殺しようと時をまった」
「やがて芹澤は平山、平間の両人を一座からつれだして屯所に帰り、自分は例の愛妾お梅を擁し平山は 佶梗屋の小栄、平間は輪違屋の糸里という美妓を相手として飲みなおした。そこへ土方もやってきて胸に秘策をしまってしきりに芹澤に酒を強ゆ。果ては三人とも座にもたえぬようになって臥床にはいるとみるや、沖田その他をよび四人一時に踊り込んで斬りつけた」
「芹澤もさる者暗々とは討たれはせぬ。枕頭の大刀をとってはね起きて戦ったがついに乱刀のもとにたおれ、平山もつづいて咽喉を刺されて果てた。女はお梅だけ殺され小栄、糸里の両女は平間とともにふしぎに命を助かった。そしてあくる日近藤から「賊のために芹澤横死をとげそうろう」と会津家へ届けいでた」
このシーンは新撰組を扱うドラマや映画など、作品には必ず登場する場面ですね。近藤らは「長賊の仕業」として、芹澤の葬式を執り行ったという話です・・。
ご周知、八木邸にはこの乱闘における「刀傷」や、芹澤が縁側から隣室に逃げ込んだ際に「けつまづいた文机」が残されていますが、果たしてこの時のものなのか。
この日は見学者が私だけだったので、かなりの時間、芹澤襲撃の部屋から縁側の向こうのお庭を眺めておりました。そして井戸。井戸はあった場所からは動かないでしょう。このお庭や、この井戸は当日の様子を見ていたのだろう・・夜陰にまぎれ踊り込む沖田ら・・・そんなことを妄想しながら、八木邸で芹澤鴨暗殺の幕末の夜を思うのでありました・・。
学生さんらしき数人が見学にやってきたのをしおに、八木邸を辞します。ずうっと固まって、幕末新撰組を妄想しながらお庭を眺めているおっさんが居座っていたら不気味でしょう・・笑
そして八木邸見学チケットには、これも14年前と変わらぬお茶と「屯所餅」。笑
幕末巡りで疲れた身体とアタマに、染みますねー。笑
@2020京都