うめじろうのええじゃないか!

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#歴史

「西本願寺」@京都2015

「国道1号線」っていいですねえ・・。何か非常に浪漫のある道です。 さて、9年ぶりの京都巡りにて「西本願寺」まで歩いてきました。ああ・・懐かしいです、この光景よく覚えていますよ。 前回は恒例の幕末巡り時期である2月でしたが、今回は11月。秋の西本願寺に…

「久坂玄瑞密議の角屋」@龍馬をゆく2015

花屋町通りをゆく。島原大門をくぐり揚屋の「角屋」に到着です。 整然とした格子造りがいかにもな感じを強烈に醸し出していますね。9年ぶりにここを訪れました。 新撰組のエリアでもあった?この界隈ですが、「長州藩志士 久坂玄瑞の密議の角屋」の碑が建ち…

「新撰組刀傷の角屋」@京都2015

これまた9年ぶりの「角屋」です。格子造りの整然とした様子がとても印象的ですね。 「新撰組刀傷の角屋」の碑。京都を歩いているとあらゆる所に碑が建っていますね、それだけ歴史が深い証拠なのでしょう。 前述の輪違屋が置屋なのに対して、こちらの角屋は「…

「輪違屋」@京都2015

島原大門の内へ入り、これまた9年ぶりに「輪違屋」を訪れました。ここも9年前となんら変わらず、な印象でそういうのが嬉しかったりします。 「置屋」である輪違屋ですが、しつこいですが私は浅田次郎先生の新撰組関連の小説が大好きでして、まあここでもその…

「島原大門」@京都2015

かつての「壬生狼」は京の都の中心部からは離れた界隈である壬生に起居したようですが、ワタクシも現代の下流そのものの身として?京都観光の中心部に寝泊まりすることは出来ず、この界隈に宿泊いたしました(苦笑) 9年ぶりに訪れた「島原大門」。10年一昔…

「幾松」@龍馬をゆく2015

こちらもまた2006年以来の「幾松」。 看板の脇には登録有形文化財のプレートが。京都はこうした文化財の集積地ですね。 ここに来る時間帯がいつもこうした夕方になるのは不思議です・・。

長州藩邸跡@龍馬をゆく2015

ご存知、「長州藩邸跡」のホテルオークラ。→2006年記事 今回は桂小五郎さんにはお会いできませんでした(笑)

【徳川斉昭(烈公)像】@龍馬をゆく2014

旧弘道館の前に設置されている「徳川斉昭(烈公)像」。 烈公も幕末の巨人の一人だと思うので、そういう感覚としてはもうひとつ像が小さいかな、と・・・。 今、最も興味がある人物のひとりです。

「至善堂」@龍馬をゆく2014

弘道館は「最期の将軍」徳川慶喜公向学の地としても有名です。「烈公から指導を受ける七郎麿の銅像」。 慶喜(七郎麿)は5歳~11歳までこの「至善堂」御座の間で学んだといいます。そしてまた、大政奉還後の明治元年、静岡に移るまでの四カ月間を慶喜はここ…

「弘道館」@龍馬をゆく2014

「震災から全面復旧の弘道館を訪れる」にも記しましたが、再載します。「特別史跡 旧弘道館」。 弘道館が出来た時に仁考天皇から下賜された鉢植えの桜をここに植えたことに因んで、昭和に入ってから再び宮内庁から苗をいただきここに植えたという「左近桜」…

「彰考館跡」(大日本史編纂之地)@龍馬をゆく2014

藤田東湖像の項でご紹介した「彰考館跡地」です。この敷地は現在は中学校になっている様です。そしてこここそがかの水戸藩が250年もの長きに渡って行った大事業、 「大日本史」の編纂之地です。この水戸藩が進めた歴史研究がやがて時を経て、幕末の志士たち…

水戸城跡@龍馬をゆく2014

「水戸ナンバー」が「木戸」に見えてしまう幕末病の私が2014年、真っ先に向かったのはもちろん、水戸でした(苦笑) 「水戸城跡地」。塁と壕が残ると言いますが、敷地がバカデカ過ぎてイマイチぴんときません・・。しかし訪れて驚いたのが水戸駅からほど近いと…

「藤田東湖像」@龍馬をゆく2015

「大洗町幕末と明治の博物館」に至る道沿いに、「藤田東湖像」がありました。 キャンプ場?の脇の雑木林に建つその像は何やら不気味な様相です・・。 藤田東湖と言えば「水戸学」。幕末の志士たちの政治思想に大きな影響を与え、維新の精神的原動力になったと…

「大洗町幕末と明治の博物館」@龍馬をゆく2015

茨城県にやってきました。幕末ファンにとって茨城県と言えば「水戸藩」ですね。幕末ファンになった当初、徳川御三家の水戸藩と幕末維新の関係性をまったく関知しておらず、いわゆる薩長と相対する側としか思っていませんでした・・・。しかし、私にとって今最も…

「江戸東京博物館」@東京2014

「江戸東京博物館」を訪れた時の記録です。両国国技館のすぐとなり、大きな建物に圧倒されます・・。 長いエスカレーターで上がって入口に至るまでがアトラクション気分でワクワクしました。館内は「江戸」の歴史が展示されており興奮します。 親子連れ客も大…

「函館のペリー像」@龍馬をゆく2014

旧函館区公会堂の下にある空き地にペルリの像が建っています。函病跡地?というのでしょうか、怖い話もたくさんある場所ですね・・。 ペリー提督来航150周年を記念して2004年、この銅像の建つ一角を「ペリー広場」と命名したそうです。 元町公園から見る夜景も…

「間宮林蔵記念館」@茨城2014

「間宮林蔵記念館」にやって来ました。この町に来て地図を見て一番最初に「おおっ!」と思った場所です(笑) 林蔵は常陸国筑波郡上平柳村というこの界隈に生まれました。幼少時より測量的な事に異常な関心を持っていたようで、この記念館の裏に小貝川がある…

「間宮林蔵墓」@茨城2014

間宮林蔵の郷里にある「専称寺」にやってきました。林蔵は安永9年(1780)常陸国筑波郡上平柳村(現在のつくばみらい市)に生まれ天保15年(1844)に65歳で生涯を終えました。ここに間宮林蔵の墓があります。 林蔵は文化4年(1807)、樺太探検に出発するにあ…

「間宮林蔵像」@稚内2007

有名?な宗谷岬の「間宮林蔵像」です。函館の高田屋嘉兵衛同様、劇画風でカッコイイですね。 これは2007年2月の真冬の絵ですが、さすがに観光スポットにも人けがありません・・。しかしこの宗谷岬の「最北端の地碑」の前で記念撮影する人々は、何故きまって仁…

「間宮林蔵渡樺出港の地碑」@稚内1993

かなり時代を遡りますが・・北海道に移住した93年の夏の稚内。この頃はまだ幕末巡りとかまったく興味はありませんでした。 今にしてみればちょっとしたノスタルジー?なのでアーカイブしておきます・・。写真も「ネガ風」にレタッチしたのではなく、当時は純粋に…

「榎本公園」@江別2006

再び古い話に戻りますが・・、2006年「榎本公園」の記録です。一度冬にここを訪れたのですが、雪に埋もれて近くまで寄れませんでしたので夏場に再訪です。 榎本武揚を顕彰するものですが、高い位置にあることもあってか・・・ けっこう小さい・・です・・。 榎本武揚…

江川(太郎左衛門)家墓@東京2015

浅草から上野までを歩いてみましたが、非常に仏具屋が多く驚きました・・。その道中、本法寺に「江川太郎左衛門の墓」を訪れました。 ご存知、江川太郎左衛門といえば韮山反射炉で有名な幕末海防の先駆者ですね。菩提寺は韮山本立寺とのことですが、江戸出府も…

「佐々木只三郎墓」@龍馬をゆく2015

久々の「龍馬をゆく」は2015年、会津若松にやって来ました。会津で龍馬?といったところもあるかと思いますが・・、いずれにしても幕末ファンとして会津は絶対外せようのないお国です。 会津若松駅前から出ている周遊バスに乗って巡ります。それぞれ町中を時計…

「日進館」@会津2015

幕末ファンの会津巡りとしてはここを訪れなきゃ、ということで、「みなずる号」というバスに乗って会津藩校「日進館」にやってきました。 藩校と言えば2010年に萩の「明倫館」、そして昨年は水戸の「弘道館」を訪れましたが、いずれも今風に言うところの「超…

「泣血氈の地(会津戊辰戦争終結の地)」@会津2015

鶴ヶ城をまっすぐに見る甲賀町通りに 非常に眼を惹く白壁の「宮泉酒造」があります。 そこにひとつの幕末史における重要な場所を示す看板がありました。「会津戊辰戦争終結の地」の副題に「泣血氈の誓い」と書かれています。明治元年9月22日、鶴ヶ城に降伏の…

「司馬遼太郎文学碑と新島八重像」@会津2015

鶴ヶ城に隣接する「福島県立博物館」の前に司馬遼太郎先生の文学碑がありました。 司馬先生ファンの私には興味深い碑です。 そしてその並びに「新島八重の像が立っていました。ご存知、大河ドラマ「八重の桜」ですね。 その主役の綾瀬はるかさんがここにも。…

「会津武家屋敷」@会津2015

少し観光をさせてください・・(苦笑)。会津の観光スポットのひとつ、「会津武家屋敷」を訪れました。 ここは会津藩家老、西郷頼母邸を復元したミュージアムで歴史的な家屋や史料館など会津の歴史が学べる施設です。 寒いです・・。雪、ごんもりです。。 当時の…

「西郷頼母邸跡」@会津2015

一月の会津はしばれますねえ~・・。鶴ヶ城のすぐそばにある西郷頼母邸跡を訪れました。 当時「梅屋敷」と呼ばれていたというのはこのあたりの一帯のことでしょうか、こちらも雪をごんもりかぶっていました。お城の眼と鼻の先、いかに重要人物かがうかがい知れ…

「さざえ堂」@会津2015

例によってすみません・・幕末をちくと逸脱いたします・・・。白虎隊士の墓へ登る途中、「なんじゃこれ!?」なお堂が・・。 お国の重要文化財にもなっている「さざえ堂」というんだそうです。まさに「さざえ」ですね・・。 さざえ堂の入口真正面に鎮座するのがお堂を…

「戸ノ口堰洞穴」@会津2015

白虎隊記念館の背を更に登ると厳島神社がありました。その脇に水がろうろうと流れています 猪苗代湖の水を会津若松に引く為に掘られたという戸ノ口堰洞穴。 戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊士がここを通って飯盛山に辿り着いた?そうです・・。こんな小さな洞穴…