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「間宮林蔵渡樺出港の地碑」@稚内1993

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かなり時代を遡りますが・・北海道に移住した93年の夏の稚内。この頃はまだ幕末巡りとかまったく興味はありませんでした。
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今にしてみればちょっとしたノスタルジー?なのでアーカイブしておきます・・。写真も「ネガ風」にレタッチしたのではなく、当時は純粋に「ネガ」です・・(笑)コレもひとつの大きな「歴史」です(笑)
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稚内の親友の家に遊びに行き、友人に宗谷岬を案内してもらいました。本州各地から訪れる観光客にとって「最北端」や「最東端」(最西端や最南端なども)という響きには特別なものがあり、今でもその時の気持ちの昂揚ははっきり覚えています。
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海岸にあった「間宮林蔵渡樺出港の地」碑。間宮林蔵は文化5年(1808)4月に幕命を受け松田伝十郎と共に樺太を探検します。幕府隠密とも言われる林蔵はこの時郷里から持ってきた墓関を海岸に建てた、と言われており、同じく蝦夷地探索に出発する際に郷里にも「自分の墓を自分で建ててきた」そうで、そういう癖があったのかも知れませんね・・。
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関東人の私は北海道に移住するまで「ロシア」という国はまったく意識することが無かったのですが、この頃よりロシアという外国を色濃く認識するようになり、その後幕末ファンになって以来は私の中での幕末はいわゆる黒船からではなくロシアから始まっています。そういう意味で高田屋嘉兵衛も私の中では幕末に類しています。
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余談ですが、宗谷岬と言えば「間宮堂」です(笑)。帆立ラーメン、そしてカレー、美味いです(笑)


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