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【梨木神社】三条実美頌徳碑@龍馬をゆく2021

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今年も残すところあとひと月、という所ですが、今年も2021年幕末巡り・史跡巡り関係のログがUPし切れない見込みとなりました・・・。編集が全然追い付かず・・・。

さて、今回は「梨木神社」です

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こちらは元々三条家の邸宅跡ということで、久邇宮朝彦親王の令旨により、三条実萬を祀る為社殿が造営されたといいます・・・。

その後、大正に入ると三条実美公も合祀されたそうでして・・、もはや完全に・・・な感じなワケであります・・・・。

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三条実美頌徳碑」

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また、こちらの社はの名所としても有名だそうで、別名「萩の宮」とも呼ばれているそうです・・・。毎年9月には「萩まつり」が行われるそうです。

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「白マメ」こと三条実美公は、文久三年の「八一八の政変」で長州へ「七卿落ち」

維新後は明治維新の功臣として、明治天皇の命によりその葬儀は国葬とされました。

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@京都2021

 

 

 

 

 

幕末期醤油商の姿が残る【澤井醤油本店】@龍馬をゆく2021

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今日はご周知、坂本龍馬の誕生日であり命日ですね。

坂本龍馬は京都の醤油商「近江屋」で暗殺されました。当時風邪をひいていたという龍馬。身を守るべく普段潜んでいた土蔵から、母屋二階で暖を取っていたようです。この時の様子は、色々なテレビ番組等で紹介されていますので、イメージが沸く方も多いことでしょう。

しかし、実際の幕末の醤油商とはどんな家屋だったのか、龍馬が潜んでいた近江屋とはどんな造りだったのか、それをリアルに目の当たりにすることはもはや叶いません。

そこで、幕末期の醤油商の建物が残るという、「澤井醤油本店」を見学して参りました。

見学と言っても営業されていますので、その外観を見学させていただいただけですが、ちょうど中にいらっしゃったご主人に幕末ファンである事をお話すると、ご厚意で醤油を醸造する倉の内部を覗かせていただけました。

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本来は、一番見たいのは二階部の、天井が低くなっている部屋、龍馬と中岡が襲撃された時にいた部屋とほぼ同じ造りを残すという部分です。

 

 

 

 

しかしさすがにそこは・・、民間のお宅でありますし難しい話ですよね・・・。一応外観から見える二階の様子から、天井が斜めに低くなっているであろう内部の様子がうかがえる感じはありました。

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正面の入口から、やはり奥にかけて深く、写真左側がお店になっており、右側が醤油を作る倉となっていました。

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更にその奥には蔵が。醤油等の商品を、保管しておくのでしょうか。このような幕末の醤油商の姿を今に残していただけているのは、非常にありがたいですね。非常に勉強になりますし、幕末を「妄想」する際にもどんどんリアリティが増していきます。

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このような醤油商の建物が、幕末にはここ蛸薬師通りにもあったワケです(現河原町通り沿い)。

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これまで幾度となく、「龍馬暗殺」に触れて参りましたが、せっかくですので再度触れておきましょう。

2019年3月、滋賀への引っ越し当日に、京都じゃ京都じゃ!と心躍り、引っ越しそっちのけで河原町界隈を幕末巡りしちゃった時の絵です・・。笑

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岬神社、通称「土佐稲荷」。

ここのすぐ東側、高瀬川沿いは土佐藩邸跡です。

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当時はここも土佐藩邸の内部だったそうで、つまりはここはまさに土佐藩邸。当時の藩邸と言えば、現在における大使館のそれと同じく、他藩の者が好き勝手に入れる場所ではありません。

しかし、この「土佐稲荷」は神社ということもあって、他藩の者でも比較的自由な気風で出入りが出来ていたそうです。

「新助・・医者を呼べ・・・・」

龍馬が襲撃された時に言ったとされるセリフ・・。近江屋の主人、井口新助の提灯も燈っていました・・。

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普通なら、他藩の者がいたら怪しまれる藩邸付近、ましてや藩邸内。しかし、普段から自由な気風で多くの者が出入りしていた土佐稲荷とあって、あるいは近江屋の龍馬を狙っていた刺客が、参拝客を装って近江屋の様子を窺っていたとしても不思議ではありませんね・・。

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ちなみに土佐稲荷の龍馬像は、新しくなって非常に綺麗な像になっていました。2006年当時の像は朽ち果ててしまって、ボロボロでした・・・。

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土佐稲荷を出まして

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この土佐稲荷正面から真っ直ぐに伸びた細い路地・・

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ここを抜け路地を曲がってゆくと、河原町通りに続きます

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路地の向こう側に河原町通りが見えますね

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当時の河原町通りは、現在のそれとは大きく違って道幅は狭く、従って近江屋が建っていた位置も現在の店先からはもっと手前、今の道路の部分に大きくはみ出した位置にあったと考えられています。

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土佐稲荷界隈の路地から、刺客らは近江屋の様子を窺っていたのかも知れません。刺客達は、ここから近江屋から出て行く岡本健三郎や峰吉を見ていたのでしょうか・・・。

 

 

 

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今や多くの人々が行き交う繁華な河原町通り。人通りが激しいので、いつもここの写真を撮る時は苦労しますね・・・笑

熱心に写真を撮る姿を一瞥して、ああ・・坂本龍馬?だったっけ・・?が好きな人が熱心にやっとるわ・・って感じで見られているのでしょうね・・・

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ところで、ここ「近江屋跡」は2006年当時は京阪交通社さんでした・・^^;お隣はブライダルリングの専門店さんかな?2021年の今はお寿司屋さんと、お隣は星乃珈琲店さん、15年も経つと、いろいろ変化しますね・・・^^;

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と、いう事で、澤井醤油さん本店を見学させていただき、再び龍馬暗殺について触れてみました。

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河原町通りにあった近江屋は、こんな感じだったのでしょうか・・・・笑。

 

さて、毎年11月15日に霊前護国神社での「龍馬祭」ですが、今年は開催されるようです

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今年は私、前日の14日にお参りしてまいりました(^^)

例年、当日にはどんだけえ~・・!な人が行列を作って龍馬と慎太郎の墓前に手を合わせに来られますが、前日は「いつも通り」閑散としておりました・・^^;

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おおっ・・・今年は龍馬のマスクも外れているぜよっ・・!

が、しかし・・・、今年も「軍鶏鍋」は中止だそうで・・・。龍馬祭で何が楽しみって、軍鶏鍋をいただくことが最大の楽しみでもあるのに・・^^;、まあ・・こればっかりは、仕方ないですね・・。

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合掌ー。

私はこの後、霊前歴史館の講座を受けて帰りました(^^)

今回もとても楽しかったです!ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

【姉小路公知墓】@龍馬をゆく2021

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墓参ラー記事です。

姉小路公知の墓」。

合掌ー。

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姉小路公知の記事は、これまでいくつか上げて参りました。

特に私の好きな作品、司馬遼太郎「幕末」に収められている「猿ヶ辻の血闘」にて、御所の鬼門である猿ヶ辻で襲われ暗殺されてしまいます・・。

a-jyanaika.hatenablog.com

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そんな姉小路公知公のお墓、今回は・・探しましたねぇ・・・。なかなか見つけられませんでした・・・。

「参議左中将藤原公知朝臣之墓」と刻まれております。

墓石の背面には、「文久三年」。

a-jyanaika.hatenablog.com

この暗殺のひと月前には、大坂の北御堂で勝海舟が、攘夷派の急先鋒な公家、姉小路公知に謁見しているんですね・・。

翌月に「猿ヶ辻」の事件が起こるとは、想像もしていなかったことでしょう・・・。

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@京都2021

 

 

 

松平容保公寄宿の地|松林院旧跡|清浄華院|@龍馬をゆく2021

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御所の東にある、「清浄華院」。

ここの境内にある「松林院旧跡」

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ここは幕末、京都守護職であった会津藩主・松平容保公逗留の地でもあります。

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会津藩主 京都守護職 松平容保公寄宿の地」碑。

ご周知、京都守護職は「くろ谷さん」こと、金戒光明寺に本陣を構えていましたが、緊迫する状況下において御所を警備するには、なるべく近い方が良いとの考えもあったのでしょう、御所のすぐ脇の寺院に、寄宿していたようです。

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松林院は、伏見天皇皇孫清浄華院第八世敬法上人が正親町室町の昭慶門院御所の敷地を賜り、法然上人の遺跡である白川禅房松林坊を移して創建されたと伝える由緒ある寺院である。清浄華院の筆頭塔頭として皇室や公家の帰依を受け、勅願別院とも称された。

幕末には御所警備を担当した会津藩文久三年末から寄宿し、藩主で京都守護職松平容保公も池田屋事件の寸前まで半年ほどここに逗留した。会津藩の寄宿は慶応三年まで続き、寄宿者の中には後に京都府顧問として活躍する山本覚馬も居たとされる。

会津藩預かりであった新撰組隊士も容保公に召されて度々ここを訪れたとみられる。

 

 

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このように、びっしりと書かれた碑も珍しいですね・・・。

@京都2021

 

 

【佐久間象山墓】|妙心寺|大法院|@龍馬をゆく2021

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妙心寺を訪れました。なんとも広大な敷地・・・。境内がひとつのタウン化しているようで・・・圧倒されます・・・。まさに巨大寺町・・。

各地に、「昔はここまで全てが寺の敷地だった」という場所がありますが、なるほど、当時の寺の広大な敷地というものは、このようなものだったのか、と納得させられる気がしますね・・。

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その広大な敷地の中に、いくつもの寺院があり、その中のひとつの「大法院」に向かいました。今日は、佐久間象山先生の墓マイラー。ここには初めて訪れました。

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「象山佐久間先生墓道」をゆくと、大法院が見えてきました。

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こちらの墓地に、幕末の洋学者、佐久間象山の墓があります。

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ありました。

「象山佐久間先生墓」。

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龍馬も象山塾で砲術を学んだことなどが有名ですが、象山はそのエヘンプイな性格から?敵も多かったようです・・。「俺は国の財産だ」などと言っていたという逸話もあり、西洋かぶれの自信家に、攘夷志士達が敵視していたことが容易に想像出来ます。

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元治元年(1864)七月十一日、白昼、攘夷派によってメッタ刺しにされて暗殺されてしまいます

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墓石に刻まれた、元治元年七月十一日。

合掌ー。

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ところで、ご住職が生前、九重親方と懇意にされていたそうで、千代の富士の慰霊碑がありびっくりしました・・!

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いや、私も少年時代のスーパースター力士と言えば千代の富士関でしたし、大ファンでしてね、また函館にも数年間暮らしておりましたもので・・・などと、ご住職にしてみればコイツ何言ってんだ・・という事を言ってしまいまして・・、ちょっと興奮してしまいました・・。

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