お堀の一環かと思われる堀川が異様なエメラルドグリーンをしていました。
私はいわゆる「城マニア」の方のような興味は無いのですが、そういう「城素人」にしても各地にあるお城というものが放つ雰囲気には魅力を感じるものです。
萩城は
関ヶ原の役後に着工し、慶長13年(1608)に完成したものと案内版に書いてありました。
指月山の麓に位置していることから、その名をとって「指月城」とも呼ばれていたそうです。
我々幕末トラベラーとしては13代
毛利敬親の時代、
文久3年に国事処理に不便だという事で先に訪れた山口に藩庁を移します。幕府には黙って(笑)。
その後明治7年に建造物全てが解体された、という事で、現在は
天守閣は残らず、その台座だけということです。
お城というと、どうしてもその
天守閣が「This is Osiro」的な者に映るので、残念ですね。前述のお城マニアの方とかになると、土塁の膨らみだけでも萌えるのかもしれませんが(笑)・・。
天守閣があった台座から、松本村の方向を見渡してみます。
しかし、私が萩城で最も驚いた事は、お城の城壁の外がすぐ海に面していることでした。
お城と言うと、山の上や内陸にあるように思っていましたが、こういう立地のお城って初めて見るのでとても驚きました。
お城からガッ、と駆け出して浜に出る、というイメージが皆無だったので、変な感じです・・。
海に突き出した指月山にお城を構えていた為にこういう環境になったのでしょうね、これは新鮮でした。
A案に対しても「そうせい」、対極的なB案に対しても「そうせい」と言っていたことから、「そうせい候」と揶揄される
毛利敬親ですが、そういうある種いなせな振舞いが藩内の自由度を失わさせずにいたという面もあるのかも知れませんし、ア○な親の子は立派になる、じゃないですけど(苦笑)それを意図的にやっていたとするならば名君ではないでしょうか。
それにしても当時の城下町が本当にそのまんま、です・・・。まったくもって不思議なまち、藩政時代にタイムスリップ出来る贅沢な観光が楽しめますね。