うめじろうのええじゃないか!

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#日本史

「文学の散歩道」高山彦九郎文学碑@山形県酒田市2017

「寛政の三奇人」こと高山彦九郎。「風雲児たち」ファンにはお馴染みの激烈勤王思想家ですね(笑)そんな高山彦九郎の碑を山形県で見つけたら、激烈な驚きを感じざるを得ません(笑)蝦夷地と四国を除く全国各地を遊歴した彦九郎はここ酒田も訪れていたので…

「文学の散歩道」吉田松陰文学碑@山形県酒田市2017

山形県酒田市の日和山公園界隈に「文学の散歩道」というプロムナードがありました ここに幕末ファンにはビッグネームな「吉田松陰」の歌碑が 吉田寅次郎は嘉永4年~東北遊学をしていたと思います まさかここ東北の地で、幕末長州ビッグネームに出会うとは、…

酒田市日和山公園の松尾芭蕉像@山形2017

北前船で有名な山形県酒田市に「日和山公園」があります。日和山公園というのも石巻にもあれば、長州下関にも行きましたが、各地にあるんですね。 その、酒田市の日和山公園に「松尾芭蕉の像」がありました。「奥の細道」で有名な俳人ですが 「忍者説」「隠…

「西郷どん」筆御神号額

山形県酒田市は日枝神社 この神社の山王鳥居に掲げられた御神号額は、今年の大河ドラマで注目を集めるかの「西郷どん」の筆によるのもだそうです これです なぜ西郷どんの筆にゆるものなのか、神社仏閣に詳しい方に教えて欲しいものです それにしてもこちら…

戊辰戦争官軍墓地(常光院)@角館2017

秋田県仙北市は武家屋敷の観光スポットとして有名な角館。桜の頃には大勢の観光客が大挙して賑わいを見せますが、シーズンを外れればこの通り、私的にはいつもの、幕末巡りらしい様相です。 ここに佐竹北家の菩提寺、「常光院」がありました 「戊辰戦争戦没…

「活版伝習所跡」「唐通事会所跡」@長崎2017

現在の長崎市立図書館前に建つ碑。「活版伝習所跡」「唐通事会所跡」。図書館という書物(活字)がたくさんある場所で、活版伝習所の跡に思いをはせるのもまた、な感じがします。唐通事、今で言えば中国語の通訳?というのも言語に関するものとして、その跡…

長州藩邸跡地@龍馬をゆく2017

たしかこのあたりだったと記憶しているのですが・・・。なんだか10年前とすっかり様子が変わってしまい、はて、本当にここだったのか・・。ちくと自信が・・。でも地図的には前回の場所と同じだと思うのですが・・。 長崎県市町村職員開館の脇には「新町活版所跡」の…

「長崎東京間郵便線路開通起点の跡」@長崎2017

歴史巡りの街歩きをしていると、あらゆる石碑に反応してしまうようになります・・苦笑。そんなひとつ、「長崎東京間郵便線路開通起点之跡」碑。 江戸時代の飛脚便で、長崎ー東京間で手紙が届くのに約8日!掛かっていたようです。これは現在の瞬時にメールのや…

海軍伝習所(長崎奉行所西役所)跡@龍馬をゆく2017

長崎奉行所西役所跡、現在の長崎県庁を再訪します 10年前の私の「幕末観」における海軍伝習所はもちろん、龍馬、そして勝海舟しかありませんでした・・。その後、榎本武揚のデカさが私の「幕末」に押し寄せて来た気がします。私自身も函館に暮らし始めたり。 …

「清風亭跡」@龍馬をゆく2017

「龍馬史」における大きなポイントのひとつである、後藤象二郎との長崎での会談。その舞台がここ「清風亭」でした。 慶応三年、土佐藩参政、後藤象二郎と龍馬が会談しました。土佐における「上士」と「郷士」、土佐勤王党を弾圧した上士の首領後藤象二郎と、…

「花月」@龍馬をゆく2017

しっぽり濡るる雨の長崎丸山花街 いこかもどろか、の思案橋を越え花街丸山へ 史跡料亭「花月」 碑の建つ料亭というのも珍しい?のでは 10年前、次は料亭でメシを食えるようになって再訪するぜよ!と篤く思った私でしたが・・、結局、今回も入口を眺めてオワリ…

丸山公園の龍馬像@龍馬をゆく2017

10年ぶりの丸山の雰囲気ある交番。懐かしいです~、変わらないですね。 やはり夜でこそ、丸山の雰囲気が味わえる?というものです・・。ん・・!?公園の石碑の向こうに何やら怪しげなサムライの像が・・・! だーん!と、「坂本龍馬之像」が立ってるではありません…

高島秋帆旧宅@龍馬をゆく2017

「史跡 高島秋帆宅跡」の碑が建っています。 「正覚寺下」電停から長崎茂木街道の坂を上ること約5分、高嶋秋帆旧宅へ到着しました 2007年の「龍馬をゆく」の際には訪れることが出来なかった「宿題」ポイントでした 「旧宅」とは言っても、残念ながらその建物…

「長崎茂木街道ここに始まる」の碑@龍馬をゆく2017

幕末町歩きに冒頭し、どっぷりと陽が暮れてしまいました・・。夢中で幕末を妄想していると、時を忘れて時間が経つのがものすごく早いですね・・。「正覚寺下」から街道に入った所に設置されている、「長崎茂木街道ここに始まる」の碑です。「街道」という響きが…

大浦けい居宅跡@龍馬をゆく2017

「お茶」で有名な大浦のおけい、居宅跡碑です。この日はけっこうな雨振りで、ここを訪れる時は何故かいつも慌ただしい感じになってしまいます・・。

致遠館跡@龍馬をゆく2017

佐賀藩屋敷内であった「致遠館」。その痕跡を示す碑が、駐車場の片隅に建てられています。碑の後ろの壁が雰囲気を醸し出してくれていますね。 「致遠館跡」。ご周知、佐賀藩が長崎に設立した藩校、かの「フルベッキ写真」で有名な?グイド・フルベッキを教師…

佐賀藩深掘鍋島家屋敷跡@龍馬をゆく2017

大波止通りのコナミスポーツの所です。なにやら場違いな?灯籠とプチ庭園的な緑地があります。 説明書きがありました。「佐賀藩深掘鍋島家屋敷跡」。んー、ここのすぐ裏、そこの道路を入った所が「至遠館」跡ですから、なるほどです。 ちゃんとこうして少し…

後藤象二郎邸跡(テレビ長崎)@龍馬をゆく2017

長崎の後藤象二郎邸、跡地。ご周知、テレビ長崎の場所ですね。 10年ぶりの再訪。しかしながらこのKTN別館との「渡り廊下」がある所、後藤象二郎邸跡碑がある道路とかなりの高低差がありますよね・・。大概現在の主要国道等が当時の海岸線、というパターンが多…

おりょうと月琴の像@龍馬をゆく2017

「おもしろき女」「月琴をひく」とおりょうのことを手紙で紹介する龍馬。そんな「月琴を弾くおりょう」の像が設置されていました 場所は長崎地方法務局。小曾根邸跡地です

「ブラタモリ高知編」面白かったですね@龍馬をゆく2017

そいや、先日の「ブラタモリ」高知編も面白かったですね~!ちくと私、うめじろうの「龍馬をゆく」から逸脱して申し訳ありませんが、「高知」の項に入れさせていただきました・・! 「龍馬をゆく」の私としては、やはり種崎の「中城家」に入っている事にはまさ…

小曾根邸の跡@龍馬をゆく2017

小曾根邸跡を再訪です。現長崎地方法務局の所ですね。 坂本「竜馬」の文字を使用していますね。

近藤長次郎顕彰碑@龍馬をゆく2017

中島川の眼鏡橋です。長崎観光の有名スポットですね。 その川岸に「近藤長次郎顕彰碑」がありました。ご周知、「まんじゅうや長次郎」龍馬のご近所さんですね。高知の「龍馬の生まれたまち記念館」にも長次郎の銅像がありました。 哀しいかな時代に翻弄され…

上野彦馬生誕地@龍馬をゆく2017

むむむ・・!なんぞこげなところに銅像が・・!銀屋町になるのでしょうか?しもむら産婦人科の背中側の通りになにやら二対の銅像が・・ ん!?これは・・、「上野彦馬生誕地」の文字。そしてその台座の上には上野彦馬と坂本龍馬の銅像が! どうやらここは幕末を代表…

上野撮影局跡@龍馬をゆく2017

上野彦馬宅跡の向かい側に何やらモニュメントらしきもの?が見えました。あっ・・! 「上野撮影局跡」の看板が・・! ほほお~・・。10年前には無かったこの展示。いつ出来たんでしょうか?例によって2010年、大河ドラマ「龍馬伝」の産物でしょうか・・? 龍馬の超絶…

上野彦馬宅跡@龍馬をゆく2017

10年ぶりに戻ってきました。「上野彦馬宅跡」。 新大工町の上野彦馬撮影所から伊良林の亀山社中に上がる入口までいいアクセスです。龍馬の有名なあの写真はここで撮られたのでしょうか。

諏訪神社の福沢諭吉像@龍馬をゆく2017

諏訪神社です。前回はこの石段を見上げてここで終了いたしました・・。幕末・史跡巡りは超絶アップダウンの繰り返しですから、そういう意味では運動になっていいものだと思います。しかし、あまりやり込み過ぎても体調に障る場合がありますので何事もほどほど…

「シーボルト記念館」@龍馬をゆく2017

シーボルト旧宅跡地に隣接して「シーボルト記念館」がありました 館内でこの日は地元のテレビ局による何らかの撮影が行われていました。後藤象二郎邸のテレビ局ですね(笑)見学には外国人(欧州系?)の団体さんが訪れていて、なるほど~と思いました。 ず…

シーボルト宅跡@龍馬をゆく2017

シーボルト。医者で植物学者でもあるこの幕末の有名人は、このブログでも再三登場しています。その宅跡、そして「シーボルト記念館」を訪れました。 鳴滝の坂を上って行くと、ありました!シーボルト宅跡! 「史跡 シーボルト旧宅跡」碑 門の中、邸内であっ…

鳴滝@龍馬をゆく2017

シーボルト宅跡へ向かう道中です 「鳴滝」。風雲児たちファンとしてちょっと興奮します(笑 急峻な土地に川が流れています 鳴滝は江戸時代には景勝地であったと説明されていました

長崎開港先覚者の碑@長崎2017

「新中川町」の電停近くにある丸川公園。ここで何らかの人の集まりがあり、気になって覗いてみました。どうやら歴史散策の会、的な、シニアの集まりのようでした。 そこにあったのは「長崎開港先覚者の碑」。長崎の湊を拓いた?大村純忠と、豪族から長崎を守…