2022年4月に「ミイラ展」で訪れた「神戸市立博物館」。
そこで、2012年「龍馬をゆく神戸編」以来の課題を10年越しに克服いたしました!
「神戸海軍操練所」の鬼瓦です。
文久三年(1863)と言えば我々「幕末人」にとっては多忙な年のひとつ。
将軍家茂の入京に際し、浪士組、新撰組が結成。家茂の攘夷期限を5/10に上奏し、長州藩が下関で外国船を砲撃。攘夷派の急先鋒・姉小路公知が猿ヶ辻で暗殺される。
高杉晋作の奇兵隊が編成され、錦江湾では薩摩とイギリスの薩英戦争。大和で吉村虎太郎らが天誅組挙兵するも、八一八の政変にて勤皇派が失脚、七卿落ち。
次から次へと大事件が起こる中、後世の幕末ファンが狂喜する新撰組が誕生し、そして脱藩した坂本龍馬が東奔西走する一年です。
「文久三年」と言われたら、新撰組!将軍家茂入京!神戸海軍操練所!と答えたくなる、そういう年であります。
その文久三年4月に、幕府が神戸村に海軍操練所の設置を発令いたしました。
その前段で、勝海舟が将軍家茂を幕府蒸気船・順動丸で兵庫・神戸・西宮を視察、海防の重要性と海軍局の必要性を説いており、それが容れられたものでしょう。
神戸に海軍塾が出来るまで、勝は大阪に塾を設けていました。9月に海軍塾が出来ると、大阪から約90名の塾生が神戸に移ったといわれ、その塾頭には龍馬が任命されました。
神戸村の庄屋・生島四郎太夫の斡旋で当時勝が購入した土地は、旧生田川の西で現在の三宮センタープラザ辺りだといいます。
また、勝による「土地を買っておけ、いずれ長崎のようになる」という助言を受け、当時寒村に過ぎなかった神戸村の土地を買ったエピソードも有名ですね。今ではご覧の通り大都会です。
神戸市立博物館には、神戸における幕末の歴史にも触れられており、ペリーやプチャーチンなんかも出て来ると、「風雲児たち」ファンは興奮してしまいます!笑
神戸海軍操練所の鬼瓦には、三つ葉葵の御紋が付いていますね。
数少ない神戸海軍操練所の歴史史料として貴重ですね、ようやく念願叶って見学することが出来ました!
ついでと言ってはなんですが・・・
神戸市の歴史コーナーには、古墳あり・・
三好長慶あり・・・
北前船あり
幕末あり、で、非常に楽しめます!
近代では昔のパーマ器?というのが印象的でした・・!
すごっ・・!
なんだか人造人間的な・・・?笑
と、いうことで、神戸市立博物館、非常に見応えありました!
ちなみに、上写真は2012年に訪れた時の街のポールに掲げられた旗。大河ドラマが「平清盛」だったのかな・・?
そして、2022年の春は「ミイラ」でした(^^)