うめじろうのええじゃないか!

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龍馬をゆく~京都

「池田屋」@龍馬をゆく2006

枡屋はん、ちかごろ繁昌どすなあ。よろしおすなあ。 町人姿の「道具屋」枡屋喜右衛門。ひと皮めくれば潜伏中の勤皇志士、古高俊太郎である。 近ごろは長州さまの御用で、お忙しそうやおへんか・・・。 「道具屋があやしい」 新撰組の近藤勇が市中巡察中、江戸で…

二条城@龍馬をゆく2006

ご存知、慶応3年ここに徳川幕府の幕を閉じた大政奉還の舞台となる「世界文化遺産」二条城。「お城」というといわゆる天守閣を想像してしまいがちですが、平屋系のお城は左奥へ奥へと部屋が続いていきます。 廊下を歩くと「キュッ、キュッ」と音が鳴る「うぐ…

薩摩藩邸門@龍馬をゆく2006

「八重の桜」でも記憶に新しい新島襄の同志社大学ですが、その現在の同志社大学にある薩摩藩邸の門。ご存知、薩長同盟締結の舞台となる重要な場所です。物語上では龍馬が激しく西郷らを叱責する名場面、「長州がかわいそうじゃろがっ~!!」という場面に、…

「猿ヶ辻」@龍馬をゆく2006

御所の広さには驚愕しました・・。北海道じゃあるまいし・・、こんな都会にこんな広い敷地が存在してるとは・・。改めて天皇という存在の重さを感じるには十分でした・・。 その一角に、金網に閉じ込められた「猿」がいます。これは鬼門を護る木彫りの猿ですが、夜に…

蛤御門(禁門)の変「弾痕」@龍馬をゆく2006

普段閉じている門が、天明の大火の時に開いたことから、焼けて口を開く蛤に喩えられ「はまぐりごもん」と呼ばれるようになったそうです。 ここも幕末を巡る上では欠かせないポイントですね。元治元年(1864)7月18日、禁門の変。長州勢が敗退します。 その柱…

「がんこ二条苑」@龍馬をゆく2006

高瀬川の源流を引くという京都料理屋さん「がんこ二条苑」。京の幕末巡りも一休みです。。 ここはあの山縣有朋が明治に入って買い取ったという庭園でもある。メシ食いに来てまで幕末漬け(笑) まったくもっていやらしいまでの庭園(苦笑) 幕末動乱の京で幕…

本間精一郎遭難之地@龍馬をゆく2006

幕末動乱の京の街は物騒な事件だらけ。文久2年、越後浪士、尊皇攘夷の急進派である本間精一郎が暗殺された。 下手人は土佐の「人斬り」岡田以蔵とも、薩摩の田中新兵衛とも言われており、本間の首は四条河原に晒されたという。 その時のものと言われる刀痕。

中岡慎太郎寓居跡@龍馬をゆく2006

龍馬とともに近江屋で刺客に襲われ暗殺された中岡慎太郎。その近江屋からほど近い場所にある中岡慎太郎寓居跡地。 あぶらとり紙屋さんが目立ちます。中岡慎太郎寓居之地碑。

「酢屋」@龍馬をゆく2006

大政奉還時に、その知らせを聞いて歓喜した龍馬。その時に寓居としていた木材屋「酢屋」。 龍馬は酢屋の二階に海援隊京都事務所を置いていた。いわゆる、同志のたまり場のような感じだろうか? そんな事を考えながらぼんやり二階を見上げる私。

「四国屋・丹虎」@龍馬をゆく2006

土佐勤王党首領・武市瑞山の中心的な寓居地でもある「四国屋・丹虎」。 物語上、龍馬と武市はここで一触即発の激論を展開する緊迫のシーン。とにかく、「勝を殺すな!」 また、吉村寅太郎の寓居跡もすぐ隣にある。 間口の狭い当時の家屋の在り方に、いかにも…

桂小五郎幾松寓居址@龍馬をゆく2006

京にあって最も困難な時期にあった桂小五郎を庇護し、明治に木戸の妻となる幾松。 その寓居跡は現在の有名な料亭です。 その御膳の名称がモロ幕末です(笑)

佐久間象山、大村益次郎遭難之地と寓居跡碑@龍馬をゆく2006

佐久間象山、大村益次郎遭難之地碑。やはり高瀬川沿いにあり、二人の寓居跡も川を隔ててすぐそこ、って場所ですね。 ご存知、洋学に精通していた佐久間象山は元治元年、尊皇攘夷思想渦巻く京において暗殺されてしまいます。 また、明治2年、兵部大輔・大村…

長州藩邸跡@龍馬をゆく2006

ドーンとそびえ立つホテルオークラ。ご存知、長州藩邸跡地です。高瀬川沿いの藩邸跡を歩いてくると、突如現代風巨大ビルを目にするに、幕末の長州の存在感を顕しているように感じて面白いものです。 芸能界ビッグ3ではありませんが、幕末メジャーのひとり、…

土佐藩邸跡@龍馬をゆく2006

京都の土佐藩邸跡地。高瀬川沿いに各藩藩邸が建ち並んでいたところに、川という当時の交通の要たる様子が伺えます。 ストリートビューでこの辺りを見て見ると、2006年当時とはだいぶ変わっている様子で、綺麗に整備されているようですね。考えてみるともう7,…

坂本龍馬・中岡慎太郎・藤吉墓@龍馬をゆく2006

深夜に運ばれた龍馬らの遺体は霊山墓地へ。 龍馬・慎太郎・藤吉の墓。ここを訪れた時、私はやっと龍馬に会えた気がして手を合わせて一生懸命龍馬に話しかけたものです。飛行機ちゅう空飛ぶ船に乗って来た事、スニーカーという歩くにはこじゃんと優れた履物が…

龍馬が運ばれた道@龍馬をゆく2006

近江屋で暗殺された龍馬、慎太郎、藤吉は深夜、霊山の墓地へと運ばれた。 当時の龍馬らは幕府からしたら超危険人物。人目を偲んで深夜に運ばれたという。 当時を偲んでその道をゆく。

「明保野亭」と明保野亭があったであろう場所@龍馬をゆく2006

二寧坂、三寧坂をゆく風情は、まさに京都的な旅の醍醐味を味わうような場所のひとつですね。 その坂にある「明保野亭」。京都的風情に溶け込むその姿ですが、やはり現代人が現代風に感じる風情なのかも知れませんね。 物語上ではお田鶴様との密会の場として…

「翠紅館跡」@龍馬をゆく2006

文久3年、武市半平太、井上聞多、久坂玄瑞などが会合、同じく文久3年6月には桂小五郎、真木和泉守らが会合、世に言う「翠紅館会議」が開かれた場所。現在の「京大和」という料亭。 部屋にはここに集った志士達の写真が飾られているという。

京都料理「魚三楼」に残る鳥羽伏見の戦いの弾痕@龍馬をゆく2006

京都料理店「魚三楼」さんのお店に、鳥羽伏見の戦いの時のものであろう弾痕が残っているそうです。 ババババッっと・・・、弾の跡が線を引くようにえぐられています・・・。 と、いうことは、この格子は当時からのもの、ということになりますよね・・?

「寺田屋」お登勢の墓@龍馬をゆく2006

龍馬を庇護したことでも知られる寺田屋の女将、お登勢。のちに龍馬の妻になるお龍を養女分にしその家族の世話まで見たという。 幕末巡りをする者は同時に「墓マイラー」でもある。そのお登勢さんのお墓参りに「松林院」へ。ここは龍馬が幕府捕吏から逃れ助け…

龍馬・慎蔵避難の材木小屋があったであろう場所@龍馬をゆく2006

伏見奉行の襲撃から辛くも逃げた龍馬と慎蔵は、濠川近くの材木小屋に逃げ込む。手を負傷していた龍馬の傷は動脈にまで達しており、相当な深手を負っていたらしい。激しい出血で意識も朦朧としていたであろう。「もはやこれまで、ここで潔く腹を切りましょう…

伏見「寺田屋」@龍馬をゆく2006

2006年の「龍馬をゆく」は京都を訪れました。幕末動乱の京、もちろん龍馬の活躍の地でもあり鼻息も荒くなる行程です。まずは龍馬が愛した船宿、伏見の「寺田屋」を訪れました。中書島駅から北へ歩きます。 当時の雰囲気を偲ばせる「寺田屋」。この時はその景…