うめじろうのええじゃないか!

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「御上神社」@滋賀2020

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蝦夷富士」と言えば我らが羊蹄山の別称ですが、各地に「〇〇富士」と呼ばれる山があると思います。滋賀に移住してまず目に付いたのが「三上山」、通称「近江富士」です。羊蹄山が標高1898に対し、三上山は432という事で非常にミニマムな山ですが、実際の標高以上に大きく見えたり、また、どこから見ても大きさが変わらないように感じたり、以来私はその不思議さに魅了されています。秋田県の黒又山のように、実は人工ピラミッドじゃないの・・!?なんて思ってしまうフォルムなのですが・・、その均整のとれた綺麗な円錐形に人々が信仰心を持つのは実に自然な事だと思います。
遠くから見る限り、綺麗な円錐型の一発の山に見えていたのですが、近くの国道脇からみるとなんと双峰の山だったんですね・・!これまた驚かされる山です・・。

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その三上山の前に鎮座する「御上神社」。
私は寺社等の知識は皆無なのですが、古代史浪漫方面から楽しみたい口でして、今回御上神社を訪れてみたのはそうした趣向からです。

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さて、ここから異次元ワールド、古代史ミステリー浪漫への入口です。記紀なんてもはや何が何だか解らない、何が真実で何が嘘か、まさに信じるか信じないかはあなた次第な世界。隠蔽、隠匿、偽装、パワハラ・セクハラ当たり前、その一方で、現代の我々以上に深い知略を感じたり。歴史(過去)を見ることは未来を見ると同意なり。ねじれた時空を結び付けて見えてくるものは果たして何なのでしょうか。寺社にはそうした知的欲求を満たしてくれる魅力が満載ですね。

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鳥居をくぐり歩を進めると、相撲の土俵のような屋根があり厳かに祀られている場所がありました。ん・・・!?

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いきなりヤバいのが、でました・・!
神武天皇逓拝所」碑。意味が不明ですが、神武天皇を拝むということでしょうか?それを伝えてゆく的な意味なのでしょうか?いずれにしても、初代神武天皇の繋がりを示す碑ということになりましょう、いきなり鳥肌モンです・・。

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御上神社の御祭神は「天之御影命」。三上山に御降臨したとされています。いかにも、な楼門が凄い雰囲気を醸し出していました

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その天之御影命の後裔が「息長水依比売(おきながのみずよりひめ)」です。
息長水依比売は八代孝元の嫡子、彦坐王に娶らせられた豪族の后の一人です。
それがどうした?って話ですよね・・笑

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ここからが私の興味を刺激してやまない、古代史ミステリー妄想ワールドなのですが、「国譲り」に関連した面がある、と思うのが私見なんです。

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九代開化から十代崇神への「国譲り」。
これにより皇統が、天孫騎馬民族系統に変わります。皇統が変わってしまった為、本来皇位継承資格があった彦坐王外戚となり、各地の豪族から后を娶ったのです。その一人が息長水依比売です。

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彦坐王の子孫も多くが天皇の后妃となり、崇神皇統の対婚部族を構築していくわけですね。対婚部族?国を譲っておきながらも、来たる時に備えて皇統を護持していた?もちろん、そういう一面もあるのかも知れませんが、そもそも「外敵」に対して「はい、どうぞ」と、国を譲ったのでしょうか

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古来、世界史の潮流として大陸騎馬民族の東進、襲来があります。(これは現在のアジアの状況を見ても今でも変わりなく続いている、と見えます)
本来のヤマト皇統とは海洋民族であろうかと思いますが、恐らくはこうした大陸勢力の列島への襲来を既に予見していたのではないでしょうか。そしてパワーで支配を拡張して来る大陸勢力に対峙する為、騎馬王朝が対等であると認める王朝とする為、工作を図った

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具体的には、縄文海人と天孫騎馬人とをかけ合わせた
その為に九代開化→十代崇神の数世代前から、何らかの工作を図り準備を進めていた。都合が悪い為、「欠史八代」となる。「国譲り」で騎馬王朝に変容するが、その実は縄文海人ヤマトの血は続いている。つまりは政権こそ天孫騎馬族に譲ったが、国の体(てい)は護っていた。「国譲り」は単なる譲渡では無く、そういうカタチを取って国を護持した、というのが私のファンタジーです。そもそも外部から襲来する外敵に対して、平和裏に(正面切って戦わずして)自分を差し出す、というのはどう考えても不自然過ぎると思うのです・・。

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そうやって考えると、改めて、文字というツールすらまともに機能していたのか怪しいような時代に、どれだけの情報力を当時の人々は持っていたのだ・・、と驚愕する思いに駆られます・・。シャーマニズムで国を治めていたような時代に、一方では現代以上に理路整然とした知略に満ちた政治・・。恐ろしくもあり、ここがまた、歴史ファンの興味を引きつけて止まない所以です。
少なくとも、そんな歴史浪漫を思想しながら寺社を歩けば、漫然と歩くよりも100倍ワクワク楽しめますね!やはり歴史は、妄想力が要です!笑

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ちなみに、大岩山の麓からは多数の銅鐸が出土しており、この界隈に古代豪族があったことがうかがえます。

 

 

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