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荒神谷遺跡@出雲2020

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さあ、みなさん、一緒に古代史浪漫を旅しませんか?

2020年2月に旅した出雲。古代史浪漫に触れる旅です。まず、今回ご紹介するのが「荒神谷遺跡」です!

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私が訪れたこの時期、東京上野は国立博物館にて開催されている「出雲と大和」展に多くの史料が「出張中」で、現地の出雲の博物館は休館中・・、さらにこちらの「荒神谷遺跡」も工事中、という事で・・、シーズンオフとは言え、なかなかのアウエーな状況でありました・・。それでも、これまで十数年掛けて得とくしてきた「妄想力」で「現地で感じる歴史浪漫力」をフルに発揮し、楽しんで来たわけであります!

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荒神谷遺跡」。古代史ファンの方々の中では有名な遺跡だと思いますが、昭和59年に農道工事の予定地で、一カ所から358本もの銅剣が発見された遺跡です!

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それまで、全国で発見されていた銅剣が、計200本程度だったと言いますから、それを遥かに上回る数が一カ所で発見されたんですね・・!私たち素人でも驚く事ですので、考古学の専門家の方なんかはさぞ、驚愕したことでしょう・・!翌年には16本の銅矛と、6個の銅鐸も発見されたそうです!

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私たちが学校で習って来た弥生時代というのは、稲作が始まり村が形成され、それまでの狩猟のイメージからどこか安穏とした平和な印象がありましたが、昨今の歴史研究においては、そんな「常識」がバンバン覆されてきています。

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荒神谷遺跡で発見された銅剣は、4列に並べられ、刃を立てて上下を互い違いにし、出来るだけコンパクトに埋められていたそうです。一体何故、この地に!?いつ、誰が、どういう状況で埋めたのか・・!?隠したのか?保管したのか?廃棄したのか・・!?もう、それを考えるだけで、メシ三杯はいけてしまうでしょう?笑

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そしてまた、銅矛と銅鐸が一緒に出土した例は他には無い、ということで、これまた他とは違う「特別な」場所であると言えるでしょう。う~む・・、非常に古代浪漫が掻き立てられますねぇ・・!

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私見ですが、上記、銅剣が4列に互い違いに整然とコンパクトに、という点から、廃棄したとはまず考えにくいと思うのです・・。これだけの貴重な青銅器、当然当時の権力の象徴でしょうし、それを保持出来得る者たるや権力者であり、とにもかくにも当時この地には相当な力を持つ国が存在したということになるでしょう。つまりは、隠す=保管に近い状況ではないか?と思うのですが、私的にはここ、出雲という土地柄、どうしても「出雲の国譲り」に関連を求めてしまう(求めたい)気分になってしまいます・・。

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地図を確認してみましょう。ここ、荒神谷遺跡は、宍道湖寄りの出雲空港より南西側にあります。古代は、今の宍道湖と西側の平地の部分が海だったことを考えると、内海沿いの縁に当たります。なるほど、数ある古墳もこの「古代の海沿い」に点在しており、洋上を移動して辿り着く土地のひとつであったであろうと思われます。

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荒神谷遺跡の「現場」は、工事中にて残念ながら見学は出来なかったのですが、荒神谷博物館を出て、現地の様子を散策してみました。

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あの林の奥が出土した現場になります。人々の住む集落からは離れ、木々の生い茂る山の斜面。当時は今以上に谷は深く急峻だったそうです。また、周囲には当時の生活の痕跡や墓等も無く、つまるところ当時から「人里離れた」この場所に埋めているようなのです・・。

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この写真の向こうの突き当たりが、農道になります。先ほどの荒神谷博物館の模型にもありましたように、ここが谷になっていますね。

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あの林の向こうに・・。埋め、隠し、保管した?その真相は・・!?

古代史などまったくの無知な私が、好き勝手に妄想して楽しむ部分としては、大きな勢力を持った国がこの地にあり、ある時に何らかの外部勢力が入り、権力の移譲があったのではないか・・?また、そうしたタイミングで、権威を示す威信材が青銅器から他の何かに換わった、破壊や廃棄されるのを免れる為人里離れた地に埋め隠したのではないか?そうしたイメージを漠然と思うのですが、時代考証等がよく解らないので、これはもう少し神武王朝や欠史八代、出雲の国譲り等を学習して検証していきたいと思います。

いや~・・、しかし古代史って、めちゃくちゃ浪漫がありますね!こうしたことを思想しているだけで、幸せな気分に浸れます!笑

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ところで、学芸員の方?との会話の中で、今回は滋賀から来ましたという話になった際、「あっ、じゃあ日本一の銅鐸ですね!」って言われて、滋賀県野洲で日本一の銅鐸が出土している事を初めて知りました・・笑

もちろん、帰宅後にすぐに野洲を訪れたんですが・・、それはまた後日UPしたいと思います!出雲に行って、滋賀のまた新たな一面を知りました・・笑

 

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