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日吉東照宮にて、家康と龍馬を想う@滋賀2019

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比叡山坂本ケーブルからほど近い高台に、「日吉東照宮」があります。東照宮と言えばご周知、徳川家康ですね。

こんな所に東照宮?と、不思議に思いながら本殿へと続く石段を上がって行きました

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あれ・・閉まっちょる・・・。

扉の隙間から覗かせていただくと、なるほど、東照宮のそれと分かる荘厳な造り、日光東照宮のミニチュア版?のようなイメージです。

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調べてみると、1623年に造営されたとありますから、三代将軍家光の元和九年でしょうか、しかし翌年の1624年(寛永)から再着工し現在の社殿が完成したのが1634年(寛永十一年)のようです。そしてその秋に、日光東照宮も再建が始まり、ここの東照宮が日光の雛型になっている面もあるそうなのです。本殿と拝殿を石の間で連結する、いわゆる「権現造り」ですね。

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出ましたね、「権現」。権現→山王一実神道天台宗→天海。

家康のブレーン、崇伝とそして天海。比叡の麓に造らせたのはそうした兼ね合い?でしょうか。これまたご周知、家康は元和二年(1616)に没すると、その遺命に従って駿府久能山東照宮に祀られ、一年後に日光東照宮に祀られます。

この、久能山日光東照宮を地図上でまっすぐに線を引くと、その間を通るのが「富士山」なのですね。「富士=不死」、そうした信仰もあってでしょうか、「不死」を越えて日光に永遠の神として君臨する、そういうことでしょうか。

また、日光東照宮の本殿は、「北辰」、北極星を真後ろに背負って建っています。本殿を正面から写真に撮ると、星がその中心から弧を描くように丸く、バウムクウヘンのように弧を描くというのです。

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これは道教における最高神「天帝」信仰に由来する関係性があるとみられているようで、北辰(北極星)=「天帝」、この世の全てを司る最上の神という意があるようなのです。つまり家康は、自らが死後神となる事を自ら望み、世上の最高神、天帝の意を得た存在であらんとしたんですね。江戸から日光東照宮の方角を見上げれば、神君家康・東照宮大権現を仰ぎ見れば背に天帝がおられる。まさしく天帝によって認められた神である証拠だ、ということでしょうか。

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そして家康は死を前にして臣下を集め、こう言ったといいます。

「天下は天下の天下なり」

つまり自分が天下人になれたのは、ただ自分が強かったからだけではない。自分の政治を天帝が認め、自分は天帝から選ばれたからである。問題は秀忠だ・・。秀忠は自分から後継者として選ばれただけであって、天帝から選ばれた訳ではない。秀忠の政治が天の意に適ったものでなければ政治の座から追放される。いささかも不動あるべからず。

最後には有力外様を集め、徳川に政治を任せられない時は皆が代わって政権を執れ、とまで言っていたとかいないとか・・・!徳川の秘密憲法「公武法制応勅」には、水戸候(水戸は幕府の永世副将軍)が幕府の悪政を確認した場合には、新将軍を尾張紀州から選ぶ。両家に人物無き場合には、天下の諸侯から選ぶべきことを定めていたそうですが、外様に直に言っていた?とするならば、これは激ヤバ過ぎる話です・・・。

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そうだとすると、家康は必ずしも徳川の安泰だけを望んでいたわけでは無かったことになり、地球上の生きとし生けるもの全ての平和を願っていたことになりますよね・・。それでいて初めて「天帝」から認められ選ばれる。徳川家だけが安泰なら良い、という政治など、天帝は認めてくれるはずはない。と。

こう考えた時に、私は龍馬を連想いたしました。

長州だの薩摩だの土佐だの、自藩のことばかり言っておってはこの国は立ち行かん!「日本人」としてひとつになって立ち向かわねば、天下国家は立ち行かんぜよ!

あれ!?敵対する相手の「大ボス」と、龍馬が繋がっちょる・・!

15代「最後の将軍」徳川慶喜大政奉還を決した時龍馬は、大樹公(慶喜公)よくぞ断じた給えたものかな・・・。と、涙したと言われますが、幕末に徳川の幕を引いた慶喜公もまた、この国というものを背負いながら、数々の「演技」をしておられたと私は考えています。

家康が戦場で掲げたと言われる、「厭離穢土」「欣求浄土」。穢れきった国土を厭い離れ、永久に平和な浄土を願い求める。この世の永遠の平和を実現せよ、という家康の魂が、日光東照宮から関八州を見守り続けていたからこそ?約260年という長きに渡って江戸時代が続いて来たような気がします・・。

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そんな事を思想しながら、日吉東照宮を散策した2019滋賀の思い出。

ふと、後ろを振り返れば、琵琶湖の向こうに近江富士(三上山)が望めます。この三上山がまた滋賀に住んで以来、ずっと気に掛かっておりましてね・・笑 どうも私的に調べてみると、「出雲の国譲り」そして「欠史八代」にも繋がる面もあるようで・・、これは行ってみなければ!笑 また、別の機会にUPしたいと思っております。

 

ここまでお付き合い、ありがとうございました。

 

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