由緒正しきおっさんの愉しみ方、「司馬遼太郎・街道をゆく」をゆく、です(笑
今回訪れたのは、日吉大社です。叡山のような山なみを、ブラタモリ的地質学的な言い方としては「地塁」と呼ぶそうですが、上代、土地の人々はこの山を「ひえ」とよんでいたそうです。「ひえ」は平安期に入って「比叡」の文字が当てられるようになり、その字音にひきずられて「ひえい」とよばれるようになった、と司馬先生は書いています。この日吉大社の裏に続く道が、比叡山に登る「本坂」になるそうですね。
「ひえ」の山の神は「大山咋神」というそうですが、やがて次々と各地から神々を合祀し、それらを一神格としてみるようになり、出来た名前が「山王」だそうなのです。「山王」は元秋田市民としては縁があるというか、思わず連想してしまうところですが、日吉山王、そして山王大権現・・。
次に「権現」と聞けば連想するのが家康です。秀吉は「明神」。すでに私の頭は、こんがらがってきました・・。
叡山で天台宗をひらいた最澄、天台宗と言えば山王一実神道系?それに対して唯一神道系が吉田神道で号が明神・・・。「唯一神」といえばキリスト教・・、カトリック、神仏融合の日本独特の宗教形態・・・。仏教要素の排除?カトリック→信長→叡山焼き打ち・・・。
そういえば、この近くに「日吉東照宮」がありました。東照宮といえば家康ですよね。日光東照宮に先だって天海上人によって造営・・?ここは坂本、明智光秀・・・、天海上人、家康・・かごめかごめ・・・!?
なんとなく、ぼんやりとした何かが見えてきそうで見えてきません・・。なんだかジグソーパズルのピースばかりが、自分の中で次々とばら撒かれている気分です・・・。
一度現実の散策に戻りましょう・・。日吉山王大権現の使いは「猿」。境内に猿が飼育されていました。普通なら楽しげな気分になるのですが、なんだかゾッとしたのは何故でしょうか・・。そういえば、山形県は酒田の「日枝神社」にも、異様な眼差しを向ける猿の木彫りが祀られていたのを思い出しました・・。「ひえ」・「日吉(ひえ)」・「日枝」、全部「ひえ」ですね・・。
「司馬遼太郎・街道をゆく」を歩く、つもりが、またまた思考が歴史ミステリーな方向へどんどん向かってしまって・・、幕末を離れてもそういう興味が尽きる事がありません・・。しかし、こうして実際に、叡山であり坂本であり、現地を歩ける楽しさったらありませんね!以上、滋賀県坂本「日吉大社」でした。