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こんばんわー
いやいやいや・・・・
ここんところ「新たなる時代に入った」などと言われて久しいですが・・
波乱の幕開けとなった2024年・・いよいよヤバイ時代に入って来たな・・!ということを実感する話をまた見聞きしました・・!
私も一昨年太秦や嵐山を訪れては「秦氏」のミステリーに触れて参りましたが・・・
なんとその「秦氏」の領袖と言いましょうか・・なんでも「統理」と呼ばれるそうなんですけど・・つまりは秦氏のトップが実に2600年の封印を解き、秘事を世に知らし始めた・・!
というからびっくらぽん!ではありませんかっ・・・(゜゜)!!ヤッバ
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今年2024年はいわゆる「皇紀」?でいくと2683年??になるそうなんですが・・
なんとなんと・・・
秦氏の歴史は更にそれよりもずっと深いとか・・・・((((;゚Д゚))))アワワ
てか・・そもそもそんなことを口に出そうものなら世が世なら・・・
不敬にて・・・
命無いっすよね・・・(''Д'')””
そういう事が口に出せるようになっただけでも時代は大きく変わったと言えるのですが・・
歴史の秘事中の秘事が徐々に表に出始めて来た昨今・・それがますます加速する勢いの現状に驚きを隠せません・・!
みなさん、今、色々な事が起こりますが・・
それこそウン十年生きて来たけどこんなこと初めてや・・と人々が口にするような事象が多発する昨今でありますが・・
改めて今を生きてる私たちは・・
すごい時代を生きていると思いますよ・・!
それをこの世に生まれて来たからには
この地球という星に生を受けたからには
せっかくならこのとんでもない時代を楽しもうじゃありませんか・・!
恐怖に打ち震えビクビク生きるのも・・
興味を持って楽しんで生きるのも・・
あなた次第ですっ!
私は無論、後者を選択いたしますよ~!
死んだら分かるそうですが・・この世はめちゃくちゃ面白い世界だそうですから(^^)
生きてるうちにこの世を存分に楽しんでおかなくっちゃ!
ええっと・・話を戻しましょう!
秦氏!!
ご周知、その高い技術と財力で天皇を支え平安京の造営などにも大きく寄与したと言われる秦氏。
秦氏と言うとこれまでのイメージでは大陸や半島から渡ってきた渡来人のイメージがありませんか?私もそうでした・・どちらかというと大陸系の騎馬系のイメージを持っていました・・
が!なんと・・なんと・・
古来から舟を操り瀬戸内界隈を往き来するような海洋民族(という説)があるそうなんです(゜゜)マジカ
更に更にびっくらぽん!なのが・・・
山陰と山陽。山を隔てて北と南ですよね。
なんと・・その山陰と山陽をそれぞれを治めていたのが
出雲王朝と秦氏
なんだそうです・・(゜゜)ウラア!!既に私の歴史・・ひっくり返っとるやん・・!!
山陰→出雲王朝
山陽→秦氏
そして山陽を治めていた秦氏から出雲へ嫁に行ってるという話で・・・スサノオの妻は秦氏だとか・・・
ってか・・
大和王朝は(゜゜)???
って思いません((((;゚Д゚))))??
そこがまたミステリーなんですよ・・・!
そもそも・・そんなに古来から力を持っていた秦氏が、なんで天皇を支えてきたのか・・?
普通に考えたら秦氏自らがその地位につかんとしそうなもんですが・・・(゚Д゚;)
「神武天皇沖縄から出てる説」もあって・・
一方で秦氏は阿蘇と奈良盆地が二大拠点となっていて、瀬戸内を船で往き来していたと・・・
そう考えるともしかしたらですよ・・
どういういきさつかはミステリーですが・・日向のからいわゆる「神武東征」の折、九州から奈良盆地までを秦氏がサポートした・・・
のかも知れないと思っちゃいますよね・・!
古来・・どうして秦氏は一貫して天皇をお支えしてきたのか・・??
このあたりは増々今度の検証、勉強が必要ですね!
で・・そのいきさつは不明ながら・・・
山陰と山陽を出雲王朝と秦氏が治めていたとするとですよ・・これに大和王朝を加えると三角的なカンケイが浮き彫りになってくるように思えませんか・・?
こうした三者の関係が・・出雲の国譲りを経て王朝が統一されていく感じが薄ぼんやりとイメージ出来ますが・・その過程で秦氏は一貫して天皇をお支えして今日まで至っている・・・ということになるのでしょうか・・・(;゚Д゚)
そして三角カンケイと言ってイメージするのは・・上記「蚕の社」のログでもご紹介しました
世にも奇妙な【三柱鳥居】!
ですね・・・!
この三柱鳥居に関しては、それぞれの柱が示す方向にあるのは・・
を示しているのではないか・・という説がありましたが・・
これがまた・・秦氏の分流として
①若草
②松尾
③〇〇(未開示)
の3つがあるらしく・・
これを考えると伏見稲荷と松尾大社は当たっている話になりますよね・・(゜゜)!ウラア
ミステリーなのが北側の方面を示す双ヶ丘説ですよね・・・。
3つの分流の最後のひとつが開示されれば答えに近づけるようにも思えますが・・・どうなんでしょうか・・・(・・;)?
そして今回私は、
いわゆる「レイライン」にてこの三方を独自に検証してみたんです・・!
中心地点は「三柱鳥居」にてグッとズームして拡大してみてください
赤いラインが巷間言われている①伏見稲荷②松尾大社③双ヶ丘ラインです。
双ヶ丘はすぐ上なので拡大しないと見えません・・。
で、そのラインをずっと伸ばしてみたところ・・・
伏見稲荷周辺をゆくラインはお伊勢さんに辿り着きました・・・!
さらに・・・
松尾大社ラインをググッと伸ばしてみると・・・
なんと・・・古来秦氏が二大拠点としていたという土地のひとつ・・阿蘇に行き付くではありませんか・・!
しかしですよ・・・
先出の出雲王朝-秦氏-大和王朝のサンカク関係話が気になった私は・・実は「三柱鳥居」の示す方向はこちらじゃね・・?と思ってもうひとつのラインを引いてみたんです・・
そう、青いラインです!
するどうでしょう・・・!驚くべきことに
一方は橿原神宮!
そしてもう一方は出雲大社を示したという・・・!Σ(゚Д゚)マジカ
余談ですがその出雲に繋がるレイライン上にはかの【荒神谷遺跡】!【加茂岩倉遺跡】!があるじゃないですかっ・・(゜゜)ヤバイヨヤバイヨ
これはまさに出雲と大和の王朝を繋ぐ秦氏との三角な関係性を示している・・(゜゜)!?
なんて思わざるを得ないのですが・・・!
いずれにしても赤ラインにせよ、青ラインにせよ・・北側の、北東側のラインがどこを示しているのかはまったくのミステリーです・・!
ちなみに私の「青ライン説」で引くと・・
上賀茂神社と下鴨神社の間あたりを突っ切り、大原の三千院を越えて我らが滋賀県は有名観光スポットのひとつである「白髭神社」を通ってゆきました・・・。
いや~・・・ミステリーですねえ~~・・・
面白いですねえ~~・・・
興味が尽きませんねえ~~~(*‘∀‘)!!
あ・・
ここまで力説して何なんですけれども・・・(^^;)
上記「三柱鳥居」が示す柱の方向は私の「こんな感じじゃね・・?」なものに過ぎません・・^^;!
決して柱の方向を実際に計ってのものではございませんので悪しからず・・・。
歴史好きの皆さん、ぜひ、皆さまのご見解、いやいやこうじゃね?等ございましたらよろしくお願いいたします(^^)!
本日もお読みいただきありがとうございました~
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