うめじろうのええじゃないか!

日常の 嬉しい 楽しい 幸せを

【松尾大社】秦氏の酒造技術と我が国最古の神像彫刻の謎をゆく@京都2023

先日UPしました「奇妙なり【三柱鳥居】秦氏と太秦「蚕ノ社」古墳の謎を歩く」で触れました「松尾大社」を訪れました

以来どうしても気になっていまして・・・・

京都の盆地を囲む西の山、松尾山を背後に建つ「松尾大社」はその山を含む約12万坪が境内だそうです。

松尾山の頂上付近に鎮座するのが「磐座」(いわくら)で御祭神、古代から秦氏が総氏神と仰ぎ祀っていたものと思われます。

場所は一大観光スポットである「嵐山」、嵐山公園をぐるりと回り込むように南下した所に位置します。

阪急嵐山線の「松尾大社駅」が最寄りですが、京都駅発の市バス28系統「嵐山・松尾大社鈴虫寺行」でも片道230円で行けます。(2023.3現在)

京都駅からバス利用の場合は、交通状況にもよりますが小一時間掛かる事を把握しておきましょう。

a-jyanaika.com

【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!

御祭神についてもう少し触れましょう。

松尾大社HPによりますと御祭神は

大山咋神 (おおやまぐいのかみ)

大山咋神(おおやまぐいのかみ)は、古事記の記述によると、須佐之男神(すさのおのみこと)の御子である大年神(おおとしのかみ)の御子とあらわされております。
同書には…

…「大山咋神またの名は山末之大主神、此神は近淡海国の日枝山に座し、また葛野の松尾に座す鳴鏑(なりかぶら)を用ふる神なり」… 

とあり、山の上部(末)に鎮座されて、山及び山麓一帯を支配される(大主)神であり、近江国比叡山を支配される神(現日吉大社)と、ここ松尾山一帯を支配される神(現松尾大社)がおられたと伝えています。

市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)

市杵島姫命は、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の別名で、古事記の記述によると…

…「天照大神須佐之男命が天安河(あめのやすかわ)を隔てて誓約された時、狭霧の中に生まれ給うた」…

と伝えられる神で、福岡県の宗像大社に祀られる三女神の一神として古くから海上守護の霊徳を仰がれた神です。おそらく外来民族である秦氏朝鮮半島との交易する関係から、航海の安全を祈って古くから当社に勧請されたと伝えられております。

 

と説明されています。

近江の比叡山と松尾山を支配される神、というところが興味深いですね・・

それから「市杵島姫命」は宗像神社に祀られる三女神の一神という事で、これはまた後に触れたいと思います。

 

 

 

京都洛西の総氏神として約10万戸の氏子の崇敬を集める他、

古来、開拓・治水・土木・建築・商業・文化・寿命・交通・安産の守護神として仰がれているそうです。

それから「醸造の祖神」として全国の酒造関係から格別な尊崇を受けているとのことです

麹を発酵させて酒を造る技術も秦氏が伝えた技術として有名ですが、開拓・治水・土木・建築・養蚕・商業などもまた、秦氏が持っていた高い技術として有名です。

嵐山の「葛野大堰」など秦氏による当時画期的な土木工事でありました。

「天龍寺」のログでも触れましたが、そもそも嵐山一帯は秦氏の一大拠点として、6世紀中ごろには何と19万人もがいたといいますから・・その技術力と財力で様々な工事を請け負い平安京を造ったと言われています・・。

太秦」という地名にもその名を現している秦氏ですが、「蚕ノ社」の【三柱鳥居】の謎について前回探訪いたしました。

で、その三つの柱の方向が示している方向の一つが、「松尾大社」ではないか・・というお話でしたね・・・

と、なれば松尾大社秦氏にまつわる痕跡が必ずあるはずですから・・・そういう興味の下松尾大社を訪れたのですが・・

痕跡も何も既に神社の由緒としてガッツリ説明されているという・・・^^;

逆に「蚕ノ社」を何故あそこに建立しているのか・・の方が不思議に思えてきてしまいました・・・。

拝殿もめちゃめちゃ立派です。

大きな兎の絵馬が掲げられていました

境内を撮影しているのか・・棒に取り付けた360度撮影出来るカメラ?でピュルル!ピュルル!と妙な音を出して撮影しているおっさんがいて・・

なんだか人の後ろを行く所行く所付いて来ては撮影をしているように感じて不快でしたね・・・。たまたまかも知れませんが・・気持ち悪いからその人から離れて離れて・・という方向に移動するんですが・・私が行く場所行く場所を追って来るような気がして・・・嫌な感じでした・・(-"-)

お酒にまつわる神社だけに?すごい数の酒樽が境内に掲げられていました・・。

その前では何やら祭事の準備なのでしょうか・・?お神輿の何と言うんでしょう・・担ぐ棒?^^;の部分みたいな物を大勢で組み立てているような感じで賑やかでした。

あ、これは酒蔵とかにある「玉」ですね・・^^;!

なんでしたっけ・・?「杉玉」・・・??

ちなみに楼門の手前に「お酒の資料館」という無料の資料館もあり、ちょっとした休憩スペースになっていました。

奥にはトイレもあり。

本殿にお参りします

めちゃくちゃ立派ですね・・・

そして今回松尾大社を訪れた大きな目的、それはそう・・!

ブッダ巡礼」です^^;!

正確には仏像ではなくて「神像」です。

ここから拝観料500円をお支払いして「神像館」に行ってみたいと思います!

庭園に入ると「亀の井」という霊泉があり、酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用いるそうです。

中国人カップルがインスタ用っぽい写真をめっちゃ熱心に撮ってました・・・笑

時は春也。

植物のことはてんで解りませんが・・・

めっちゃ花粉チックな雰囲気だけは解ります・・・^^;

ここから本殿の屋根が見えました。

後で触れます。

社務所の渡り廊下の下をくぐると、めっちゃお庭です(^^)

「曲水の庭」とのこと。

へえ~・・・・

こういうのも初めて見たかもです

面白いですねー。これは石造りじゃないと壊れてしまうんでしょうかねえ・・・

まるで銀行のATMに並ぶみたいなぐるぐるです・・。^^;

そしていよいよあの左側の「神像館」へ!

ちみみに、右側の休憩所ではお茶菓子付き拝観券(1000円)を買った人だけお茶と和菓子が楽しめます。笑

キターっ・・・・!!!(画像は松尾大社HPより)

(゜゜)うわっ・・ヤッバ・・・!!

松尾大社所蔵の我が国最古の神像21体が常時拝観可!

その中でも特に大きな老年像・壮年像・女神像(いずれも重文)は迫力満点・・!

平安時代初期の一木造りがズラリ展示されていました・・(゜゜)オオー・・・

至極の仏像フィギュア

これらの神像は松尾大社の御祭神を表すと言われているようですが、もちろん作者不明、誰がモデルになっているかも不明・・ミステリー×ミステリーです・・!

ブッダ巡礼」をはじめてから、あちこちで仏像を拝見して参りましたが・・・このような「神像」というのは珍しいですね・・・

等持院の「足利将軍木像」・・アレもヤバかったですが・・・それを連想してしまうオーラーです・・。

ヤッべ・・・!めっちゃ長々と見入ってしましましたね・・・

そのうち団体さんが20~30名??めっちゃ長い列をなしていらっしゃったので神像館を辞すとします・・・。

先ほどの「女神像」なんですが・・私的には男性に見えまして・・・

よく僧侶がかぶっている頭巾みたいなのあるじゃないですか・・あれをかぶっているように見えて女性の髪には見えなかったんですよね・・。

まったくもって・・不思議な神像群でありました・・!

最後に本殿(重文)の屋根について見ていきましょう。

現在の本殿はなんと室町初期(応永初年1394~)の建造で、天文期に大修理をしたものだそうです・・。

その造りは特殊で、「松尾造り」と称されています。

箱棟の棟端が唐破風形になっている「松尾造り」は他に類を見ないもののようで、屋根の頭頂部からの急な反りが非常に美しく感じました。

実はこの「松尾造り」、他には厳島神社と宗像神社にしか存在しないそうです・・

厳島神社は以前訪れましたが、無論建築物のことなどさっぱり・・の私ですので意識して見学することはありませんでしたが・・

過去の写真を掘り起こしてみると・・なるほど・・左側の社殿の屋根の形が非常によく似ています。

これが、「松尾造り」だったのでしょう・・。

本殿には入れなかったので外からこうして眺めるしかありませんでしたが、本殿正面から左側に回り込むと屋根の上の方が見えます。

同じ「松尾造り」は厳島神社ともうひとつしかないという、「宗像神社」。

ここで松尾大社HPの「御祭神」の説明を思い出してみましょう。

>「市杵島姫命」は宗像神社に祀られる三女神の一神

ということでしたね・・・。

九州北部は大陸と近い言わば列島への入口・・。

宗像平野ー福岡平野ー糸島平野が半月型に広がり、その奥地には大宰府が・・。

大陸から渡った渡来人の繋がりがそこにあると思うのですが・・

ヤバいですねっ・・!!笑

例によってうめじろうの妄想歴史ワールドですが・・

秦氏は「アマベ」や「モノノベ」よりも遅く列島に渡って来たと思うのですが・・

丹後半島や大阪湾に上陸したアマベやモノノベと違って、秦氏シルクロードを通って来たと考えています・・。

元々商業的要素が強いのが秦氏の特徴かと思うのですが・・恐らく以前から北九州各地と交易をしていたんじゃないかと思われます。

九州北部に勢力を蓄えた秦氏は・・・

崇神天皇となんらかの繋がりがあるのではないか・・

というのが私の推論です・・・ヤバ・・

つまりは平安京遷都よりも遥か遥か古に・・秦氏は九州各地に拠点を持ち交易を行っていた・・・

いわゆる「欠史八代」でうやむやになっている期間に何らかの工作をはかり・・・

もしや「出雲の国譲り」に関わっていたのではないか・・・

そんな妄想がぼんやりと頭の中をぐるぐるしちゃいます・・・

今回もまた、キリがありませんね・・^^;!苦笑

ちなみに、神像館で流れていた案内音声で知ったのですが「松尾大社」(まつのたいしゃ)では無く、「まつのおたいしゃ」と言うのですね・・!「お」が付くのは知りませんでした・・

咄嗟に連想したのは青森の雄「ラグノオ」だったスイーツザムライの私です・・^^;笑

今回もおかげさまにて、めちゃ楽しい寺社巡りとなりました(^^)

秦氏についてはまだまだこれから、勉強していきたいと思います!

古代史マジでヤバいって・・!!笑

お付き合い、ありがとうございました。

@京都2023