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等持院@京都2020

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洛西の禅刹、「等持院」
足利尊氏の墓がある、足利将軍家菩提寺です。幕末にハマって以来、ずっと訪れたいと思っていた場所のひとつで、今回ようやくその念願が叶いました

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「幕末人」としては、そう、「足利将軍木像梟首事件」です。
文久三年(1863)2月22日、等持院に浪士数人が乱入し、室町幕府初代将軍足利尊氏、二代義詮、三代義満の三体の木像の首を引き抜き、それを三条大橋詰の制札場に曝した事件です。

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時は、将軍家茂が上洛(3月4日)する直前、木像とは言え征夷大将軍の首です、これはまさしく徳川将軍への面当てか!?という事件で、世上は騒然としたであろうことは容易に想像出来ます。

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「この三代の逆賊は皇権を奪い不臣の限りを尽くした」
織田信長公が出てこの醜類を断滅せしめたが、ところがその後この逆賊に類する者が出て来た」
これが徳川氏をさすところで、
「近時いよいよその奸悪ぶりを示し、その罪悪は足利よりも重い」
前非を悔い、朝廷に忠勤を励むことなければ、満天下の有志は大挙してその罪科を糾弾するものである
という、嬌激極まりない文章で、つまり徳川氏が悔い改めなければ将軍の首はこの通りになるぞ、というものでした

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翌朝、くろ谷の会津本陣でこれを聞いた京都守護職松平容保は色を失います・・。
司馬史観」を拝借いたしますと、
浪士の思想は「攘夷」と思っていたが、尊皇攘夷論も質的変化をきたして、将軍を逆賊とし、それに天誅を加え徳川家を倒し、討幕を目論んでいる・・
朝廷から官位をもらい、征夷大将軍に任ぜられ政権を委任された者、その足利将軍の首を梟首することは、すなわち朝廷に対し奉る侮辱行為ではないか!

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松平容保は、攘夷派の浪士達が横行する無政府状態に近い幕末動乱の京の都で、京都守護職を命じられて間もない頃の話です。京都町奉行の与力衆を黒谷本陣に呼び付け、下手人の逮捕を命じました。

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ところが、下手人の中に意外な・・人物がおりました・・。会津藩士・大庭恭平。
大庭恭平は、京都守護職を受けた会津藩の「先発隊」として京都に先乗りし、スパイ活動を行っていた人物です。浪士達と交わり、尊崇さえ受けていました。その大庭恭平が、「それがしが仲間と共にやりました」と、黒谷の会津本陣に出頭し、突っ伏して泣いたといいます。

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自然、容易に下手人が捕縛に至るのですが、この下手人達は思想的に「平田国学」の学風を奉ずる者が多かったといいます。(平田国学の主、平田篤胤はこの時期より20年前に死去)

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さて、このところの私は文久三年をうろうろ歩いておりますが、この文久三年と言えば、上にも触れましたが将軍家茂上洛に際して、将軍警護の名目で浪士組が募集され、江戸を出発した年です。
この「足利将軍木像梟首事件」が勃発したのは、まさに浪士組が入京した日ではありませんか・・?そして、この事件の下手人捕縛の直後に、「会津藩お預かり」の新撰組が誕生しています。

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あまりの接続の良さを感じてしまう私ですが、会津の大庭恭平が浮浪の徒を焚き付けて起こさせた事件、ということになるのでしょう。「浮浪を始末する浮浪の集団」を取り込んで利用する会津会津藩からしたら、面倒な業務、やりたくない仕事を押し付けてやらせる「道具」を雇ったようなものでしょう。
その結果として、後年私たちが魅了し続けさせられる「新撰組」や「幕末」が生じているのも事実でしょうから、とても不思議なものだと感じます

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こちらの霊光殿に安置された、「足利将軍歴代の木像」は圧巻です!
「足利将軍木像梟首事件」を考えながらの見学はもとより、木像から発せられるオーラが尋常じゃない!という印象を受けました・・。

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歴代足利将軍像だけでなく、徳川家康の木像も安置されており、こちらは廃仏毀釈後に石清水八幡宮から等持院に移されたものだそうです。
その眼に、吸い込まれていくような・・とてつもない霊験さを感じるというか・・・
純粋に、この木像を見学するだけでも大変有意義なひとときになろうかと、思います

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足利尊氏公の墓

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さて、最後に、うめじろう的幕末ワールドになりますが、幕末が南朝復元活動という観点で見た場合、北朝系の足利将軍家の木像梟首は単純に理解出来ます。
南朝復元の発露として、解り易い事件であります

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誰もいない洛西の禅刹。幕末妄想に浸れりひととき。
まったくもって、贅沢極まりないです・・・